流星犯紫宮 十四
《黃帝占》曰:“流星入紫宮,有大喪,大兵起,將軍有戮死者,期三年。”(案司馬彪《天文志》曰:孝章建初二年九月甲寅,流星過紫宮,長數丈,散為三,滅。後四年六月癸丑,明德皇后崩。孝和永元七年下月丁未,有流星起天津入紫宮中,滅,色青黃,有光。十二月巳卯,流星起文昌入紫宮,後竇太后,崩,隴西羌反。
《黄帝占》にいう、流星が「紫宮」に飞入するは、人間にまさに大喪あり、大規模の戦事は興起し、将軍の中に殺せらるるあり、三年の内に応験す。紫宮はすなわち紫微垣で、天帝の居住する宮禁である。ゆえに占辞は直ちに宮廷に応ず。以下は原書の小注:司馬彪《続漢書・天文志》の記載に按るに、漢の章帝の建初二年九月甲寅の日に、流星ありて紫宮を経過し、長さ数丈、三道に散裂して後に熄滅した。四年の後の六月癸丑の日に、明徳の馬皇后は駕崩した。漢の和帝の永元七年に、下月の丁未の日に、流星ありて天津より升起し、紫宮の中に飞入して熄滅し、色は青黄、光を帯びた。同年の十二月己卯の日に、また流星ありて文昌より升起し紫宮に飞入し、その後竇太后は駕崩し、隴西の羌人は反叛した。
《宋天文志》曰:宋前廢帝永光元年六月壬午,有流星前赤後白,入紫宮,明年會稽太守,尋陽王子房、廣州刺吏袁墨遠、雍州刺史袁顗、青州刺史沈文秀並叛,昭太后崩。明年,太始二年三月甲寅,流星從五車出。至紫宮西藩沒,其年四方反叛。內兵大出,六師親戎。昭太后崩,大將殷孝祖為南賊所殺也。)
《宋書・天文志》に記す、劉宋の前廃帝の永光元年六月壬午の日に、流星ありて前段は赤色・後段は白色、紫宮に飞入した。第二年に、会稽太守の尋陽王の劉子房・広州刺史の袁墨遠・雍州刺史の袁顗・青州刺史の沈文秀は一同に反叛し、昭太后は駕崩した。また一年を過ぎて、泰始二年三月甲寅の日に、流星ありて五車より射出し、紫微垣の西藩に飞到して隠没した。この年に四方は反叛し、朝廷の内軍は大挙して出動し、天子は自ら六軍を統率した。昭太后は駕崩し、大将の殷孝祖は南方の叛軍に殺された。以上は原書の小注である。
石氏曰:“流星入紫宮,主憂;天下多死者,臣犯主;又曰:入紫宮,使者憂;又曰:入紫宮,使者復命,名曰使星,諸侯有來使者。”班固《天文志》曰:“孝昭元平元年三月丙戍,流星出翼軫東北,干太微紫宮,始出小,旦入大,有光入,有聲如雷,三鳴止;占曰:流星入紫宮,天下大凶。其年四月癸未,宮車晏駕。”
《石氏星経》にいう、流星が紫宮に飞入するは、君主に憂患あり、天下に死亡の人多く、臣子は君主を冒犯す。また一説は流星が紫宮に入るは使者に憂あるを主るという。また一説は流星が紫宮に入るは使者が朝に回りて命に復するの象で、こうのような星を使星と呼び、諸侯が使者を派して前来するを主る。班固《漢書・天文志》に記す、漢の昭帝の元平元年三月丙戌の日に、流星ありて翼宿・軫宿の東北より射出し、太微と紫宮を衝犯し、剛に出現する時は形体は小さく、まさに到らんとする時に変大し、光を帯びて飞入し、雷のごとき響声を発し、三回鳴ってこそ止んだ。占辞にいう、流星が紫宮に入るは、天下は大凶なり。この年の四月癸未の日に、昭帝は駕崩した。
《荊州占》曰:“流星入紫宮,水旱不調。”(案韋昭《洞記》曰:當靈帝嘉平二年,有流星出文昌,入紫宮。六月,北海水溢,司空楊賜免也。)《荊州占》曰:“奔星入紫宮中,大亂;一曰為其國有亂;其出也,國去其君。”(案《中興書》曰:安帝隆安五年三月甲寅,有流星赤色,眾多西行,歷牽牛、虛、危、天津、閣道、貫索、太微、紫宮,桓玄篡位之應。)
《荊州占》にいう、流星が紫宮に飞入するは、水旱は調を失す。原書の小注:韋昭《洞記》の記載に按るに、漢の霊帝の熹平二年に、流星ありて文昌より射出し、紫宮に飞入した。この年の六月に、北海の一帯に大水が泛濫し、司空の楊賜は免職せられた。漢家の旧制は三公を以て上は天変に応じ、水災に遇えばすなわち司空を策免す。ゆえにこの条の応験は楊賜の身の上に落つ。《荊州占》にまたいう、奔星が紫宮の中に飞入するは、天下は大いに乱れん。もう一種の説法はあの一国に乱あり。もしこれが紫宮より射出するは、すなわち国家はまさにその君主を失わん。原書の小注:《中興書》の記載に按るに、晋の安帝の隆安五年三月甲寅の日に、赤色の流星ありて群れを成して西に向かって飛行し、牽牛・虚・危・天津・閣道・貫索・太微・紫宮を経過し、これはすなわち桓玄の簒位の応験である。群星は諸宿を歴遍して帝居に終わるを、星家は認めてまさに帝座の人に凌歴せらるるの象と為す。
《荊州占》曰:“使星入紫宮,匈奴起兵。”陳卓曰:“奔星入紫宮,天下大亂;若有奇令。”石氏曰:“流星出紫宮,天子之急使也;青,憂;赤,有兵;黃,有土功;白,有喪;一曰義;黑,有水事;皆以所之分野命其國;星復入者,使復命也,不出其年。”《海中占》曰:“流星出紫宮,人主宮殿空,若有徙王,不則出走,期三年。”《荊州占》曰:“流星出紫宮中,奔入天牢中,天子以赦應之。”
《荊州占》にいう、使星が紫宮に飞入するは、匈奴はまさに兵を起こさん。陳卓はいう、奔星が紫宮に飞入するは、天下は大いに乱れ、あるいは朝廷はまさに反常の詔令を頒出せん。《石氏星経》にいう、流星が紫宮より射出するは、天子の派出する緊急の使者を象徴す。星色が青は、憂患を主る。赤は、兵事あり。黄は、土木の役あり。白は、喪事あり、もう一説は行義の事を主る。黒は、水患あり。いずれの国に応ずるは、皆流星の飞往する分野に按じて推定す。もしこの顆の星がまた紫宮に飞回せば、すなわちあれは使者が朝に回りて命に復し、此の一年を出ずに応験す。《海中占》にいう、流星が紫宮より射出するは、君主の宮殿はまさに空虚となり、あるいは君王の遷徙あり、然らざればすなわち出奔して外に在り、三年の内に応験す。《荊州占》にいう、流星が紫宮より射出し、一路に天牢に奔入するは、天子は大赦を用いて以てこの天象に対応せん。
《宋書天文志》曰:“宋文帝元嘉二十年二月二十四日乙未,流星大如桃,出天津,入紫宮;須臾有細流星,或五或三相續,又有一大流星從紫宮出,入北斗魁;須臾又有一大流星出貫索中,經天市,諸流星並向西北行,至曉不可稱數。流星占並云:天子之使;又曰庶民惟星,星流民散之象。至二十七年,索虜破青、翼、徐、兗、豫六州,民死大半。”《荊州占》曰:“使星出入紫宮,有空國,王徙。”
《宋書・天文志》に記す、宋の文帝の元嘉二十年二月二十四日乙未に、流星ありて大きさは桃子に似て、天津より射出し、紫宮に飞入した。片刻の後にまた細小の流星あり、五顆の一群あるいは三顆の一群にして接連して降り下った。また一顆の大流星ありて紫宮より射出し、北斗の魁に飞入した。片刻の後に再び一顆の大流星ありて貫索の中より射出し、天市垣を経過した。これらの流星は皆西北の方向に向かって飞去し、天亮するに至るまで、多くして数え尽くすこと能わず。各家の流星占は皆いう、流星は天子の使者を象徴す。またいう、百姓は星辰に比し、星辰の流散はすなわち百姓の離散の象である。元嘉二十七年に到りて、北方の魏軍は青・冀・徐・兗・豫らの六州を攻破し、百姓は一大半を死した。《荊州占》にいう、使星が紫宮に出入りするは、国中の空虚・君王の遷徙を主る。
流星犯北極 十五
《黃帝占》曰:“使星色白,入北極,天下兵聚;一曰國有大變,若有稱兵。”石氏曰:“流星入北辰,天下道塞;出北辰,天下安。”焦延壽曰:“流星入北辰,兵大起。”《黃帝占》曰:“流星出北辰,地動。”石氏曰:“使星出北極,兵不在外者罷,若兵聚境外,期不出年。”《荊州占》曰:“使星色赤,出北極,兵罷於外。”石氏曰:“當以戊日占有流星出北極,天子德令安天下。”《黃帝》曰:“流星抵北極,國有大喪,天下兵起非一國,將軍戰死;若大臣破戮,期不出三年。”
《黄帝占》にいう、使星が白色を呈し「北極」に飞入するは、天下の兵馬は聚集す。もう一説は国中に大変故あり、あるいは人ありて兵を挙ぐ。北極の五星は天の中枢に居り、帝王の正位である。《石氏星経》にいう、流星が北辰に飞入するは、天下の道路は阻塞す。北辰より射出するは、天下は安寧す。焦延寿はいう、流星が北辰に飞入するは、兵事は大いに起こる。《黄帝占》にいう、流星が北辰より射出するは、まさに地震あるべし。《石氏星経》にいう、使星が北極より射出するは、外に在りて征戦する軍隊に非ざるは罷兵し、あるいは兵馬は境外に聚集し、一年を出ずに応験す。《荊州占》にいう、使星が赤色を呈して北極より射出するは、外に在る軍隊はまさに罷兵せん。《石氏星経》にいう、当に戊日に占候すべく、もし流星が北極より射出するを見れば、天子が徳政の詔令を以て天下を安定するを主る。《黄帝占》にいう、流星が北極に衝撞するは、国中に大喪あり、天下に兵起こりてしかも一国に止まらず、将軍は沙場に戦死す。あるいは大臣は誅戮せられ、三年を出ずに応験す。
石氏曰:“流星抵北極而止,色前赤後白,有來言兵事者,成;前白後黃,人主立太子,有裂地者;色赤而前黃銳,有來吾國而死者;色白而前後皆銳,有來言開關而和者;若兵罷,四方皆然。”甘氏曰:“流星入鉤陳,必有迫劫主者;其臣謀其主;若兵起宮中,期二年。”
《石氏星経》にいう、流星が北、流星が北極に衝到してすなわち停住して動かざるに、もし前段は赤色・後段は白色なれば、人ありて前来して兵事を議論し、しかも議は成り得る。もし前段は白色・後段は黄色なれば、君主はまさに太子を冊立し、ならびに土を裂き人を封ずるの事あるべし。もし通体は赤色にして前端は黄にして尖鋭なれば、人ありて本国に来り到るもここに於て死せん。もし通体は白色にして前後の両端は皆尖鋭なれば、人ありて前来して関塞を開放し和を好み盟を結ぶを商議せん。罷兵の一事に至っては、四方の情形もまた皆これに照らして推断す。《甘氏星経》にいう、流星が「鈎陳」に飞入するは、必ず人ありて君主を逼迫・劫持し、臣子はその君主を図謀し、あるいは兵変は宮禁の中に発生し、二年の内に応験す。
流星犯天一太一 十六
《聖洽符》曰:“流星犯抵天一太一者,五穀成熟,人民安樂,天下太平,鄰國寧。”
《聖洽符》にいう、流星が「天一」「太一」の両星を侵犯・衝撞するは、反って吉兆である:五穀は豊熟し、百姓は安とし居りて快楽し、天下は太平し、隣国もまた随いて安寧す。天一・太一の両星は紫微垣の門の外に在り、天帝の神主で、戦闘を主り人の吉凶を知るを主る。ゆえに流星がそれを犯すは兵禍を主らずして豊楽を主る。
開元占経 巻七十五
流星占 五
流星犯石氏外官 一
流星犯庫楼 一
《黃帝占》曰:“流星入庫樓,庫兵發用事;車騎出,流星出之,兵大起,隨星所之,兵所從往;期三年。”郗萌曰:“流星出天庫,所之邑,受兵。使星出入天庫樓,天下空虛,兵盡出。”
《黄帝占》にいう、流星が「庫楼」に飞入するは、武庫の裡の兵器はまさに啓封・動用し、兵車・騎兵は前線に開赴せん。もし流星が庫楼より射出するは、兵事は大いに起こり、流星の飞往するいずれの方なるかは、すなわち軍隊の進兵の所向で、三年の内に応験す。庫楼の十星は角宿の南に在り、天子が兵車・甲仗を貯蔵する武庫である。郗萌はいう、流星が天庫より射出するは、それが飞到するいずれかの城邑は、そこはまさに兵禍を遭受せん。使星が天庫楼に出入りするは、天下の府庫はこれがために空虚となり、兵器は全部調発し出去す。
流星犯南門 二
石氏曰:“流星入南門,西夷兵起,關道不通,國有憂。”《荊州占》曰:“流星南門甚眾,大臣有外事。”
《石氏星経》にいう、流星が「南門」に飞入するは、西方の夷狄はまさに兵を起こし、関塞の道路は阻断して通ぜず、国中に憂患あり。南門の二星は庫楼の南に在り、天上の外門で、守御・門禁を主る。《荊州占》にいう、流星が南門の一帯に出現するが甚だ多きは、大臣に出外して办理する公事あるを主る。
流星犯平星 三
《玉曆》曰:“流星入平星,執令臣有憂;若有罪,星若出之,臣有黜者;期百八十日。”
《玉曆》にいう、流星が「平星」に飞入するは、法令を執掌する臣子に憂患あり、あるいは事に因って罪を獲る。もし流星が平星より射出するは、すなわち臣子の中に罷黜せらるるあり、百八十天の内に応験す。平星の二星は庫楼の北に在り、刑獄を評議し賞罰を持平するを主り、人間の廷尉の職に相当す。
流星犯騎官 四
甘氏曰:“流星入騎官,有兵起,騎士將出,有憂;若馬多死,期一年,遠二年。”石氏曰:“流星抵騎官,兵起;星所止,知之。”
《甘氏星経》にいう、流星が「騎官」に飞入するは、まさに兵事の発動あり、騎兵と将領はまさに開出し、しかも憂患を帯ぶ。あるいは馬匹は大批に死亡し、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。騎官の二十七星は氐宿の南に在り、天子の宿衛の騎兵である。《石氏星経》にいう、流星が騎官に衝撞するは、兵事は発動す。いずれの処に応ずるに至っては、流星の墜落し停住する方位を看ればすなわち推知すること能う。
流星犯積卒 五
《聖洽符》曰:“流星入積卒,兵士大行,若將死;一曰近臣有誅者,期不出二年。”(案《晉陽秋》曰:大元元年三月丁巳,流星大如斗椀,赤色,尾長二丈,起心星南五丈,經積卒。九月,秦王符堅屠涼州,虜刺史張天錫,車騎桓沖,屯軍淮泗。)
《聖洽符》にいう、流星が「積卒」に飞入するは、兵士はまさに大挙して出動し、あるいは将領は死亡す。もう一種の説法は近臣の中に誅殺せらるるあり、二年を出ずに応験す。積卒の十二星は房宿の南に在り、聚集して発を待つ士卒を象徴す。以下は原書の小注:《晋陽秋》の記載に按るに、太元元年三月丁巳の日に、流星ありて大きさは斗に似て・碗に似て、赤色、尾の長さは二丈、心宿の南より五丈の処に升起し、積卒を経過した。この年の九月に、前秦の王の苻堅は涼州を攻屠し、涼州刺史の張天錫を俘獲した。東晋の車騎将軍の桓冲はすなわち淮水・泗水の一帯に兵を屯した。
流星犯亀星 六
齊伯曰:“流星入龜星,天下有水,珠玉貴;流星出之,天下大旱,五穀貴,期不出年。”郗萌曰:“流星出龜星,色青黑,所之國大水;赤黃,所之國大旱。”
斉伯はいう、流星が「亀星」に飞入するは、天下に水災あり、珠玉の価格は騰貴す。流星が亀星より射出するは、天下は大旱し、五穀の価は貴しく、一年を出ずに応験す。亀星の五星は尾宿の南に在り、卜筮と水沢の物を主る。郗萌はいう、流星が亀星より射出し、星色が青黒は、それが飞往するあの一国に大水あり。星色が赤黄は、それが飞往するあの一国は大旱す。
流星犯傅説 七
《甄曜度》曰:“流星抵傅說,王者有子孫之憂;若出之,宮中有子孫之喜;期不出百八十日。”
《甄曜度》にいう、流星が「傅説」星に衝撞するは、君王に子孫の方面の憂患あるべし。もし流星が傅説より射出するは、宮中にかえって丁を添うの喜事あり、百八十天を出ずに応験す。傅説の一星は尾宿の後に在り、殷の高宗の賢相の傅説の名を取る。星家は以てそれが子嗣と祈嗣の事を主ると為す。
流星犯魚星 八
《海中占》曰:“流星抵魚星,天下水,魚鹽貴;星若出之,天下旱,魚行人道。”
《海中占》にいう、流星が「魚星」に衝撞するは、天下にまさに水患あり、魚と塩の価格は騰貴す。もし流星が魚星より射出するは、天下は大旱し、水は枯れて魚が人の走る道路の上にまで爬るに至る。魚星の一星は尾宿の下・天河の中に在り、魚類・水族と漁塩の利を主る。
流星犯杵星 九
《玄冥》曰:“流星入杵星,五穀大貴,其歲杵不用事。”
《玄冥占》にいう、流星が「杵星」に飞入するは、五穀の価格は大いに漲り、あの一年に杵臼は用場に派さず、すなわち舂くべき穀なし。杵星の三星は箕宿の南に在り、臼星と相配し、糧を舂くの事を主る。ゆえに流星がそれを犯せばすなわち穀価の上に応ず。
流星犯鱉星 十
《文曜鉤》曰:“流生入鱉星,國有大水;色赤,出鱉,其國大旱。”郗萌曰:“大流星出鱉星,色青黑,為大水;赤黃,為大旱;視其所之,以命邑。”
《文曜鈎》にいう、流星が「鱉星」に飞入するは、国中に大水あり。もし星色が赤に発してしかも鱉星より射出するは、あの一国はすなわち大旱す。鱉星の十四星は南斗の南・天河の中に在り、水中の介甲の族を主る。ゆえに専ら水旱に応ず。郗萌はいう、大流星が鱉星より射出し、星色が青黒は、大水を主る。星色が赤黄は、大旱を主る。さらにそれが何方に飞往するかを看て、すなわち応験をあの一座の城邑に断ず。
流星犯九坎 十一
巫咸曰:“流星入九坎,有水旱之變;從南入,則大旱;從北入,則大水。”
巫咸はいう、流星が「九坎」に飞入するは、まさに水旱の変異あるべし。南面より飞入するは、大旱を主る。北面より飞入するは、大水を主る。九坎の九星は牽牛の南に在り、沟渠・塘堰を象徴し、水を蓄え水を泄し田畝を灌溉するを主る。ゆえに専ら一方の水旱を候す。
流星犯敗臼 十二
《帝覽嬉》曰:“流星入敗臼,天下有急發米粟之事,杵臼用,期一年。”
《帝覧嬉》にいう、流星が「敗臼」に飞入するは、天下にまさに緊急に米粟を調発するの事あり、杵臼はまさに日夜に糧を舂き用場に派せん、一年の内に応験す。敗臼の四星は虚宿・危宿の南に在り、杵星と相配し、米を舂くと倉儲・転輸の事を主る。
流星犯羽林 十三
《黃帝占》曰:“流星入羽林,兵大起,士卒發用,將軍有出者;期三年。”石氏曰:“流星色赤,入大牢東,君起兵;入其西,太子起兵;入其北,諸侯起兵;出大牢,兵隨所之。流星色赤,入天軍之南,天子死;入其西,太子死;入其北,諸侯多死。流星色黃白,入天軍之西,天子立太子;入其中,天子立侯王,不則受賜。流星色白,入天軍之南,后憂疾;入其北,諸侯憂疾。”《春秋緯》曰:“使星出入羽林,兵起。”
《黄帝占》にいう、流星が「羽林」に飞入するは、兵事は大いに起こり、士卒は征発・調用せられ、将軍の中に命を奉じて出征するあり、三年の内に応験す。羽林の四十五星は営室の南に在り、天子の禁衛の軍で、ゆえにまた天軍と呼ぶ。《石氏星経》にいう、流星の色が赤にして大牢の東面に飞入するは、君主は兵を起こす。それの西面に飞入するは、太子は兵を起こす。それの北面に飞入するは、諸侯は兵を起こす。もし大牢より射出すれば、兵鋒はすなわち流星の飞去する方向に随う。流星の色が赤にして天軍の南面に飞入するは、天子は死す。それの西面に飞入するは、太子は死す。それの北面に飞入するは、諸侯は死亡多し。流星の色が黄白にして天軍の西面に飞入するは、天子は太子を冊立す。天軍の中に飞入するは、天子は侯王を分封し、然らざればすなわち人ありて賞賜を得る。流星の色が白にして天軍の南面に飞入するは、皇后は憂病す。それの北面に飞入するは、諸侯は憂病す。《春秋緯》にいう、使星が羽林に出入りするは、兵事の興起を主る。
流星犯北落 十四
石氏曰:“流星抵北落,天下有兵,北夷寇虜入塞,大將出,鈇鑕用,期百八十日,遠一年,若二年。”
《石氏星経》にいう、流星が「北落」に衝撞するは、天下にまさに兵事あり、北方の夷狄の寇虜は辺塞に侵入し、大将は命を奉じて出征し、斧鉞・刀鑕の類の刑具は皆まさに動用し、近ければ百八十天・遠ければ一年あるいは二年の内に応験す。北落師門の一星は羽林軍の南に在り、天軍の営門で、非常を候察するを主る。ゆえに流星がそれを犯せばすなわち辺寇と出師の上に応ず。
流星犯土司空 十五
《玉曆》曰:“流星抵土司空,其國有兵,土功起;若抵破司空,國有喪,期三年。”
《玉曆》にいう、流星が「土司空」に衝撞するは、あの一国にまさに兵事あり、しかも土木の工程を興起せん。もし流星が土司空を撞破せば、国中にすなわち喪事あり、三年の内に応験す。土司空の一星は奎宿の南に在り、土功を営造し田疇・水利の事を主管す。ゆえに占辞は先ず土功を講う。
流星犯天倉 十六
石氏曰:“流星色赤,入天倉中,兵內起,其犯破,天倉旱,若火起,出天倉粟,以兵出。流星色黃白,入天倉中,歲飢;出入天倉,歲大飢,出谷。”甘氏曰:“流星入天倉,天下飢,谷散出,若發粟於民,有轉谷之事。”
《石氏星経》にいう、流星の色が赤にして「天倉」の中に飞入するは、兵変は内部より発生す。もしそれが天倉を冲破せば、あの一帯にすなわち旱情あり、あるいは倉中に火起こり、倉裡の粟米は運び出せらるるは、あれは軍需に充てて兵に随いて出る。流星の色が黄白にして天倉の中に飞入するは、この一年は饑荒す。もし天倉に進進・出出すれば、この一年は大饑し、まさに倉を開いて穀を出さん。天倉の六星は婁宿の南に在り、穀米を儲蔵する倉廩である。《甘氏星経》にいう、流星が天倉に飞入するは、天下は饑荒し、穀米は散放し出去り、あるいは百姓に向かって糧を発して賑済し、漕穀を転運するの事あり。
流星犯天囷 十七
《聖洽符》曰:“流星入天囷,有兵起,谷當出,有軍糧之急;期百八二日,若一年。”
《聖洽符》にいう、流星が「天囷」に飞入するは、まさに兵事の興起あり、倉中の穀子はまさに調運し出去り、軍糧は喫緊・告急し、百八十二天あるいは一年の内に応験す。天囷の十三星は胃宿の南に在り、円形の穀倉で、天倉・天廩と同じく穀米を積儲するを主る。
流星犯天廩 十八
齊伯曰:“流星入天廩,其國大飢,五穀不成,人民飢死,米粟當有出廩者,期不出二年。”
斉伯はいう、流星が「天廩」に飞入するは、あの一国は大饑し、五穀は成熟すること能わず、百姓は餓死し、倉廩の中の米粟は勢い必ず開き出して賑済せんとし、二年を出ずに応験す。天廩の四星は昴宿の南に在り、祭祀に用いる粢盛を貯蔵するを主り、また一年の豊歉を総じて候す。
流星犯天苑 十九
《甄曜度》曰:“流星入天苑,有兵起,馬出行,若多死;一曰禽獸多死。”石氏曰:“流星色赤,入天苑中,牛馬多傷;出天苑中,牛馬多以兵事出者。流星色黃,入天苑中,牛馬野禽獸蕃息。流星色蒼白、黑,入天苑中,牛馬野禽獸多死;出天苑、牛馬以全出者。流星入天苑,馬之事出,天苑名馬出,幣入四足獸,有幣者。流星入天苑,名馬有入者;出天苑,名馬有出者。”
《甄曜度》にいう、流星が「天苑」に飞入するは、まさに兵事の興起あり、馬匹は牽き出されて使用せらる、あるいは大批に死亡す。もう一種の説法は禽獣の死亡多し。天苑の十六星は昴宿・畢宿の南に在り、天子が牛馬・禽獣を畜養する苑囿である。《石氏星経》にいう、流星の色が赤にして天苑の中に飞入するは、牛馬は傷損多し。天苑より射出するは、牛馬は兵事に因って征調せられて出去ること多し。流星の色が黄にして天苑の中に飞入するは、牛馬と野生の禽獣は繁衍・興旺す。流星の色が蒼白あるいは黒に発して天苑の中に飞入するは、牛馬と野生の禽獣は大批に死亡す。もしこれが天苑より射出するは、牛馬は完好に牽き出すこと能う。流星が天苑に飞入するは、馬と関ある事はすなわち発生せん:苑中の名馬は牽き出され、而して四足の牲畜を以て聘幣と為して送り入れらる、人ありてこれに因って財幣を得る。流星が天苑に飞入するは、名馬の国に進献するあるを主る。流星が天苑より射出するは、名馬の国境を送り出すあるを主る。
流星犯参旗 二十
《海中占》曰:“流星入參旗,兵大起,弓弩用;流星出之,將軍出,兵士行,期二年。”郗萌曰:’使星出入天弓,匈奴兵起。”
《海中占》にいう、流星が「参旗」に飞入するは、兵事は大いに起こり、弓弩はまさに用場に派せん。流星が参旗より射出するは、将軍は出征し、士卒は開抜し、二年の内に応験す。参旗の九星は参宿の西に在り、また天弓と呼び、弓弩・威射と盗賊を候察するを主る。郗萌はいう、使星が天弓に出入りするは、匈奴の兵馬はまさに事を起こさん。
流星犯玉井 二十一
《黃帝占》曰:“流星入玉井中,皆為強國失地;出玉井,強國得地。”郗萌曰:“有大流星循伐以下入玉井中,不出其年,水與城等,以星小大退疾占之。”《玄冥》曰:“流星入玉井,國以水為憂;若疾,國失地;若出之,大水溢流,有溺死者,期不出二年。”《荊州占》曰:“流星出玉井,將出。”
《黄帝占》にいう、流星が「玉井」の中に飞入するは、いずれも強国が土地を失去するを主る。玉井より射出するは、すなわち強国は土地を獲得す。玉井の四星は参宿の左足の下に在り、水を汲みて以て庖厨に供するを主り、星家はそれを用いて水を候す。郗萌はいう、大流星ありて伐星の以下に順って玉井の中に飞入するは、此の一年を出ずに洪水は城墻と同じ高さに漲らん。水勢の大小と退くの快慢は、流星の大小・飛行の疾徐に按じて推断す。《玄冥占》にいう、流星が玉井に飞入するは、国家はまさに水患のために愁えん。もし来勢が急疾ならば、国家はさらに土地を失去せん。もし流星が玉井より射出するは、すなわち大水は泛濫して外に溢れ、人ありて溺死し、二年を出ずに応験す。《荊州占》にいう、流星が玉井より射出するは、将帥の出征を主る。
流星犯屏星 二十二
《文曜鉤》曰:“流星入屏星,執法臣有戮死者,人民多疾;若有死,不出其年。”
《文曜鈎》にいう、流星が「屏星」に飞入するは、法令を執掌する臣子の中に殺せらるるあり、百姓は疾病を生ずる多し。もし死亡が出現すれば、此の一年を出ずにすなわち応験す。此処の屏星の二星は廁星の南に在り、穢処を遮蔽する屏障で、太微垣の内のあの一組の屏星と名は同じくして位は同じからず。
流星犯廁星 二十三
巫咸曰:“流星入廁星,天下大飢,人相食;一曰若大水,陷廁中,有謀兵。”
巫咸はいう、流星が「廁星」に飞入するは、天下は大饑し、人が人を食うに至る。もう一種の説法はもし大水に逢い、廁星を水中に陥没せば、人ありて兵を興さんと図謀す。廁星の四星は屏星の北・参宿の右に在り、圊溷の事を主り、星家はそれを借りて以て疾疫と饑饉を候す。
流星犯天矢 二十四
石氏曰:“流星抵天矢,人民多疾,若多死,天下飢。流星色黃,吉;青白,多疾;黑,多飢。”
《石氏星経》にいう、流星が「天矢」に衝撞するは、百姓は疾病を生ずる多く、あるいは大批に死亡し、天下は饑荒す。流星の色が黄は、吉と為る。色青白は、疾病多し。色黒は、饑荒多し。天矢の一星は廁星の南に在り、穢濁の聚まる処で、ゆえに専ら疾疫と饑饉に応ず。
流星犯軍市 二十五
《玉曆》曰:“流星入軍市,兵大起,大將出,軍飢,絕糧,市散,期二年。”
《玉曆》にいう、流星が「軍市」に飞入するは、兵事は大いに起こり、大将は出征し、軍中は饑困し、糧道は断絶し、市集は離散し、二年の内に応験す。軍市の十三星は参宿の東南に在り、軍中の互いに交易する市集で、軍需・給養を主る。
流星犯野鶏 二十六
甘氏曰:“流星入軍市,抵野雞,將離散,士卒死亡,先起兵者殃,期三年。”
《甘氏星経》にいう、流星が軍市に飞入し、またその中の「野鶏」星に衝撞するは、将帥の所部は離散し、士卒は死亡し、先んじて兵を発する方はまさに殃を遭わん、三年の内に応験す。野鶏の一星は軍市の中に在り、野味の供給を主り、また軍中の伏候・警戒を主る。
流星犯狼星 二十七
《黃帝占》曰:“流星抵破狼星,秦國有殃,先起兵者亡,期一年,遠二年。”石氏曰:“流星抵狼星,其國兵大起,大將有千里之行,將軍有死者。”
《黄帝占》にいう、流星が「狼星」に衝撞しならびに撞破するは、秦の地はまさに殃を遭い、先んじて兵を起こす方は滅亡し、近ければ一年・遠ければ二年に応験す。狼星の一星は東井の東南に在り、色は白にして芒角あり、侵掠・劫奪を主り、分野は秦に属す。《石氏星経》にいう、流星が狼星に衝撞するは、あの一国は兵事大いに起こり、大将に千里の遠征の行あり、将軍の中に戦死する人あり。
流星犯弧星 二十七
齊伯曰:“流星入弧星,天下兵起,諸侯相攻,弓弩用,車騎出;一曰弓矢貴,秦負兵,期不出百八十日,遠一年。”
斉伯はいう、流星が「弧星」に飞入するは、天下に兵起こり、諸侯は互いに攻伐し、弓弩はまさに動用し、兵車・騎兵は戦場に開赴せん。もう一種の説法は弓箭の価は貴しく、秦の地は兵禍を承受し、最も快くも百八十天を出ず、遠ければ一年に応験す。弧矢の九星は狼星の東南に在り、形状は一张の箭を搭えた弓に似て、箭鏃は正しく狼星に対して向き、盗賊を防備し非常を警戒するを主る。
司馬彪《天文志》曰:“光武建武十一年十二月已亥,大流星如缶,出柳西南行,入弧且滅,分為千餘,如遺火狀;須臾,有聲隱隱如雷。柳為周,弧為秦、蜀,大流星出柳入弧者,是大使從周入蜀。時光武使大司馬吳漢發南陽,三萬人乘船泝江而上,擊蜀成帝公孫述,又命將軍成等平武都邑郡。十二年二月,吳漢又擊述,大司馬謝豐斬首五千餘級,十一月丁丑、漢護軍高午刺述洞胸,其夜死;明日,漢入屠蜀城,誅述大將公孫晃等,所殺數萬人,滅述妻子、宗族萬餘人。”
司馬彪《続漢書・天文志》に記す、光武帝の建武十一年十二月己亥の日に、大流星ありて瓦缶のごとき大きさで、柳宿より射出して西南に向かって飛行し、弧星に飞進してまさに熄滅せんとする時に、一千余の顆に散裂し、遺落の火星のごとし。片刻の後に、隠隠として雷のごとき声響を発した。柳宿の分野は周の地で、弧星の分野は秦・蜀で、大流星が柳宿より射出して弧星に飞入するは、大員ありて使を奉じて周の地より蜀の地に入るを象徴す。当時、光武帝は大司馬の呉漢を派して南陽の三万人を征発し、船に乗りて江を溯って上り、蜀の地を割拠する成家の皇帝の公孫述を攻打せしめ、また将軍の成某らに命じて武都らの郡県を平定せしめた。建武十二年二月に、呉漢は再び公孫述を進撃し、成家の大司馬の謝豊の以下の首級五千余を斬り下した。十一月丁丑の日に、呉漢の護軍の高午は一槍にして公孫述の胸膛を刺穿し、当の夜に公孫述は身死した。第二天に、呉漢は城に入りて蜀都を屠滅し、公孫述の大将の公孫晃らを誅殺し、殺したるは幾万の人あり、公孫述の妻子・児女と宗族の一万余人もまた一併せて滅ぼされた。
流星犯老人星 二十九
《荊州占》曰:“使星出入老人星,老人有疾憂。”《海中占》曰:“流星抵老人,天下多病,老人不安;一曰大兵起,老者行。”
《荊州占》にいう、使星が「老人星」に出入りするは、年の高き人はまさに疾病・憂患あるべし。老人星とはすなわち南極老人星で、弧矢の南に在り、国家の寿祚と人の長寿を主り、歴来、秋分の日に南郊に於て守候す。《海中占》にいう、流星が老人星に衝撞するは、天下に疾病多く、老年の人は安寧を得ず。もう一種の説法は大規模の戦事が興起し、年老いた人に至ってもまさに征発せられて路に上らん。
流星犯天稷 三十
《玄冥》曰:“流星入天稷,五穀散出,谷不熟,天下飢,人民流亡,去其鄉。”
《玄冥占》にいう、流星が「天稷」に飞入するは、倉中の五穀はまさに散放し出去るも、田裡の穀子はかえって成熟すること能わず、天下は饑荒し、百姓は流亡して自らの家郷を離れん。天稷の五星は七星宿の南に在り、農事・稼穡を主り、農官の象徴である。ゆえに流星がそれを犯すは専ら一年の年成に応ず。
