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紫微垣星占 五十九

唐 · 瞿昙悉达 · 第67巻 / 119

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

石氏曰:“紫微垣十五星。西蕃七,東蕃八。在北斗北。”(右星入軫十度,去極九十度半,在黃道內五十六度太。)《荊州占》曰:“紫微宮,紫北也;宮,中也;一名天營,一名長垣,又曰日旗。”《樂什圖》曰:“天宮,紫微宮也。”《春秋合誠圖》曰:“紫宮者,太一之常座。”(郗萌曰:太一之常舍也。)巫咸曰:“紫宮者,天子之常居,土官也。”張衡《靈憲》曰:“紫宮為皇極之居。”《春秋元命苞》曰:“紫宮,吐陽合陰。”

石氏はいう、紫微垣は全部で十五の星で、西面の一列の藩垣が七つ、東面の一列の藩垣が八つ、位置は北斗の北面に在る。原書の小注がその座標を記す:西側のあの星は軫宿十度に入り、北天極から九十度半、黄道以内五十六度又四分の三にある。《荊州占》にいう、いわゆる「紫微宮」の「紫」はその位が北方に在るを取り、「宮」はその中央に居るを取る。それはまた「天営」とも呼ばれ、また「長垣」とも呼ばれ、また「日旗」とも呼ばれる。《楽什図》にいう、天上の宮室とは、すなわち紫微宮である。《春秋合誠図》にいう、紫宮は天帝の神「太一」が常に安坐する所在である。原書の小注に郗萌を引いていう、これは太一が常に止宿する居所である。巫咸はいう、紫宮は天子の固定した居処で、五行において土官に属する。張衡《霊憲》にいう、紫宮は至高の皇権の居る地である。《春秋元命苞》にいう、紫宮は陽気を吐納して陰気を涵合する。

《淮南天文閒詁》曰:“紫宮,執斗而佐還,日行一度,以周於天;日冬至駿狼之山;駿狼之山,冬至所止也;日移一度,行百八十二度八分度之五而夏至牛首之維;牛首之維,夏至之所至;反覆三百六十五度四分度之一,而成一歲。”《詩含神霧》曰:“紫宮主出度。”

《淮南天文閒詁》にいう、紫宮は北斗を握持して天体の運転を輔助し、太陽は毎日一度を行進し、これに凭って周天を繞行する。冬至のこの日に太陽は「駿狼の山」に到達し、駿狼の山はすなわち冬至日に太陽の止まるところである。これより後、太陽は毎日一度を移動し、行くこと百八十二度又八分の五に満つれば、すなわち夏至日に太陽のある「牛首の維」に到達し、牛首の維はすなわち夏至日に太陽の到るところである。このように往復して一周して共に三百六十五度又四分の一度で、すなわち一つの整年を構成する。《詩含神霧》にいう、紫宮は暦度の頒行を主掌する。

《聖洽符》曰:“紫宮以戊子日侯之,宮亂則荒,其君驕奢,不聽諫,奸佞在側;紫宮和而正,則致鳳凰,頌聲作。”石氏曰:“紫宮之星,均皆明,大小有常。”郗萌曰:“紫宮星不盛,即士耗,亡妻子。”又占曰:“紫宮旗直者,天子出,自將兵;紫宮開,兵起。”《荊州占》曰:“紫宮星盛,即吉昌,內輔強。”《石氏贊》曰:“紫微宮中十五星,備蕃臣。”

《聖洽符》にいう、紫微宮を観候するには戊子のこの日を選ぶべし。紫宮の星象が散乱すれば、人間の政事は荒廃し、その君主は驕横奢侈で諫言を聴き入れず、身辺にはことごとく奸佞の小人である。紫宮の星象が和諧端正であれば、鳳凰を招来し、頌揚の声がこれに随って興起する。石氏はいう、紫宮の諸星は一律に明亮すべく、大小は各々常度があるべきである。郗萌はいう、紫宮の諸星が盛んでなければ、士人はまさに耗損し、妻子児女を喪失する事があるであろう。また一条の占辞にいう、紫宮のそばの旗星が挺直していれば、天子が出行し自ら兵を統えるを主り、紫宮の藩垣が開豁であれば、兵事の興起を主る。《荊州占》にいう、紫宮の諸星の光が盛んであれば、すなわち吉慶昌隆で、宮内の輔弼の臣は強健である。《石氏賛》にいう、紫微宮の中の十五の星は、天帝の身辺の完備した藩衛の臣である。

北極鉤陳占 六十

石氏曰:“北極五星,鉤陳六星,皆在紫微宮中。”(鉤陳六星,入東壁八度太,去極十一度半,在黃道內八十四度。)《黃帝占》曰:“北極者,一名天極;一名北辰。(《論語》曰:譬如北辰,眾星拱。共謂北極也。)紫宮,天聖主也,三公也;在北斗前。”(北極紐星,天之樞也,天運無輟,而旋星不移也。)

石氏はいう、北極の五星と鉤陳の六星は、いずれも紫微宮の内に在る。原書の小注が鉤陳の座標を記す:鉤陳の六星は東壁宿八度又四分の三に入り、北天極から十一度半、黄道以内八十四度にある。《黄帝占》にいう、北極はまた「天極」とも呼ばれ、また「北辰」とも呼ばれる。原書の小注に《論語》を引いていう、譬えば北辰はその所に居って衆星が環拱す、「共」とはすなわち環拱の意で、いうところはまさに北極である。北極は紫宮に処り、上天の神聖な主宰で、また兼ねて三公を象し、位は北斗の前に在る。原書の小注にいう、北極の紐星は天の枢軸で、天体は運転して永く歇まらず、そしてこの旋転中心に居る星は終始位を移さない。

《黃帝占》曰:“天樞,天一坐也。”吳龔《天官星占》曰:“北辰者,一名天一,名西秋。”《春秋緯》曰:“北極星,其一明大者,太一之光,含元氣,以斗布賞開,命元節序神明,流精生一,以立黃帝。”《春秋緯》曰:“道起於元一為貴,故太一為北極天帝位。”司馬遷《天官書》曰:“天極星,其一星,太一常居也,旁三星,三公,或曰子屬。”《廣雅》曰:“北辰回曜魄。”

《黄帝占》にいう、天枢はすなわち天一の神の坐する位次である。呉龔《天官星占》にいう、北辰はまた「天一」とも呼ばれ、また「西秋」とも呼ばれる。《春秋緯》にいう、北極の諸星の中のあの最も明るく大きなものは、太一の神の光輝で、それは元気を涵含し、北斗に凭って賞賜を布施し万物を開啓し、元気を頒命し節序を排定し神明を統御し、精気を流布して「一」を生出し、これをもって黄帝の統を確立する。《春秋緯》にまたいう、大道は「元一」より起こってこれを以て貴しとする。ゆえに太一は北極に居り、すなわち天帝の位次である。司馬遷《天官書》にいう、天極星の中のあの一つの星は、太一の常に居るところで、そのそばの三つの星は三公を象徴し、ある人はまた天子の子嗣・宗属を象徴するという。《広雅》にいう、北辰は回旋して曜魄の精を運転する。

《黃帝占》曰:“北極,太一之座也;第一星,主月,太子也;謂第一星者,最赤明者也。”《黃帝占》曰:“極星盛,人君吉昌;不明,人君耗。”《禮緯》曰:“天子正珪瑁,則北辰列齊。”《春秋緯》曰:“北極,主出度。”又占曰:“極星亡,期八年,中國無君王,天下大亂。”《春秋緯運斗樞》曰:“王者承度、行義、郊天、事神不敬,廢禮,文不從經圖,則樞星不明。”《孝經緯》曰:“德至天,則斗星極明,甘露下。”

《黄帝占》にいう、北極は太一の神の座位で、その中の第一星は月を主り、太子を象徴する。いわゆる第一星とは、すなわち最も紅く最も亮いあの一つである。《黄帝占》にまたいう、北極の諸星が光盛であれば、君主は吉慶昌隆し、北極が明亮でなければ、君主はまさに耗損する。《礼緯》にいう、天子が圭瑁の礼を端正すれば、北辰の諸星は排列して斉整となる。圭瑁とは朝会のとき天子の執る所で、以て諸侯の圭を合験する玉器である。《春秋緯》にいう、北極は暦度の頒行を主掌する。また一条の占辞にいう、北極星が隠没して見えなければ、応期は八年で、中原はまさに君王なく、天下は大いに乱れる。《春秋緯運斗枢》にいう、君王が天度を秉承し道義を施行しても、天を郊祀し神明に奉事するに心が敬を存せず、礼制を廃棄し、典章が経図の旧法に遵わなければ、枢星は明亮しない。《孝経緯》にいう、徳行が上は天に達すれば、北斗の諸星は極めて明亮し、甘露もこれに随って降下する。

石氏曰:“北極星明大,數動搖,主好出遊;色青,微滅,皆凶。”《荊州占》曰:“北極出斗,去地三丈,大星獨居,無位出,天下大亂,易姓,人相食。”又占曰:“北極中央星不明,去疏,主不用事;左星不明,太子有憂;右星不明,庶子有憂。”《荊州占》曰:“天樞,大端指心,小端指參。故用兵者順行偕天樞;則左青龍、右白虎、前朱雀、後玄武。蒼龍,白虎,朱雀七星,玄武虛危。”

石氏はいう、北極星がまた亮やかでまた大きく、かつしきりに揺動すれば、君主が外に出て巡遊することを好むを主る。星色が青に発するか、あるいは微弱にしてまさに滅せんとするは、いずれも凶象である。《荊州占》にいう、北極が北斗を離れ、地面より三丈を距り、ただ大星が独り居留まり、残りの星は位を失って出るは、天下の大乱・王朝の易姓・人の相食するを主る。また一条の占辞にいう、北極の正中の一星が明亮でないか、あるいは位を離れて疎遠であれば、君主が政事を親ら理しないを主る。左辺の一星が明亮でなければ、太子に憂患があり、右辺の一星が明亮でなければ、庶子に憂患がある。《荊州占》にいう、天枢の指すところは、大の一端は心宿に指向し、小の一端は参宿に指向する。ゆえに兵を用うる人が天枢の指向に順って行軍すれば、すなわち左に青龍、右に白虎、前に朱雀、後に玄武を得る。蒼龍・白虎・朱雀は各々七宿を以て象とし、玄武はすなわち虚・危の二宿を主とする。

《春秋緯》曰:“上精為鉤陳者,鉤陳也,害土,立萬物度數;以(闕)陳。”《樂什圖》曰:“鉤陳,後宮也。”《合誠圖》曰:“鉤陳,大帝之正妃也;大帝之常居也。”巫咸曰:“鉤陳,天子護陳將軍,水宮也。”郗萌曰:“鉤陳者,後宮也。”司馬遷《天官書》曰:“後勾四星;末大星,正妃;餘三星,後宮之屬。”《荊州占》曰:“鉤陳,天子大司馬。”又占曰:“鉤陳者,黃龍之位也。”

《春秋緯》にいう、上天の精気が凝結して成るものがすなわち鉤陳で、鉤陳の気は土徳を克制し、万物のために法度と数紀を確立する。以下の原書に闕文があり、ただ一つの「陳」の字のみ残る。《楽什図》にいう、鉤陳は後宮を象徴する。《春秋合誠図》にいう、鉤陳は天帝の正妃で、また天帝の常に居止する所でもある。巫咸はいう、鉤陳は天子の護陳将軍で、五行において水宮に属する。郗萌はいう、鉤陳はすなわち後宮である。司馬遷《天官書》にいう、北極の後に勾曲して排列する四つの星の、末端のあの大きな星は正妃で、残りの三つは後宮の嬪御に属する。《荊州占》にいう、鉤陳は天子の大司馬である。また一条の占辞にいう、鉤陳は黄龍の居る位次である。この一星官は諸家の説が一ならず、あるいは以て後宮の妃嬪と為し、あるいは以て宿衛の将帥と為す。帰するところはいずれも天帝を環護する象である。

《荊州占》曰:“鉤陳四守,太一之所妃也。”《黃帝占》曰:“鉤陳四守,星盛,人君吉昌;不明盛,人君耗。”石氏曰:“鉤陳星,欲其光明耀美,天子左右強;若細色黑,左右弱。”郗萌曰:“鉤陳星盛,天子之輔強;小微,即輔弱。又占曰:“鉤陳星去,不見,女主惡之。”《荊州占》曰:“主不用諫,佞人在位,則鉤陳星不明。”《石氏占》曰:“北極五星最為尊,鉤陳大星配輔臣。”

《荊州占》にいう、鉤陳の四星は四方を環守し、太一の神に配する妃位である。《黄帝占》にいう、鉤陳は四面に環守し、諸星が光盛であれば、君主は吉慶昌隆し、もし明盛に足らなければ、君主はまさに耗損する。石氏はいう、鉤陳の諸星は光明耀美であるべく、そうであれば天子の左右の近臣は強健で、もし細小にして色が黒ければ、左右の近臣は衰弱する。郗萌はいう、鉤陳の諸星が光盛であれば、天子の輔臣は強健で、細小暗弱であれば、輔臣は衰弱する。また一条の占辞にいう、鉤陳の星が位を離れ隠没して見えなければ、女主にとって大いに不利である。《荊州占》にいう、君主が諫諍を納れず、佞人が高位を窃据すれば、鉤陳の星は明亮しない。《石氏占》にいう、北極の五星は最も尊貴で、鉤陳の大星は輔弼の臣の地位と相配する。鉤陳はすでに後宮の正妃を象し、また宿衛の近臣を象す。ゆえに上に列する占辞は多く君主の左右の強弱について説を立てる。

天一星占 六十一

石氏曰:“天一星,在紫宮門外右星南,與紫宮門右星同度。”(南星入軫十度,去極十度半,在黃道內七十四度半。)韓楊曰:“天一星,名曰北斗主。其星明,則王者治;不明者,王道逆,則斗主不明,七政之星,應而變色。”《黃帝占》曰:“天一星,地道也;欲其小有光,則陰陽和,萬物成;天一星大而明盛,水旱不調,五穀不成,天下大飢,人民流亡,去其鄉。”《黃帝占》曰:“天一星,明澤光潤,則天子吉。”石氏曰:“天一星,欲明而有光,則陰陽和,萬物成。”又占曰:“天一星亡,則天下亂,大人去。”《荊州占》曰:“天一之星盛,人君吉昌。”《石氏贊》曰:“天一太一,主承神也。”

石氏はいう、天一星は紫宮門外の西側のあの星の南面に在り、紫宮門の右星と同一度上に処る。天一は天帝に属する尊神で、南辺の太一と相い対して列す。原書の小注がその座標を記す:南面のあの星は軫宿十度に入り、北天極から十度半、黄道以内七十四度半にある。韓楊はいう、天一星はまた「北斗主」とも名づく。この星が明亮すれば、君王の治理は軌道に乗る。この星が明るくなければ、すなわち王道は悖逆し、北斗の主はこれに随って明を失い、北斗の七政の諸星もまたこれに応じて色を変じる。《黄帝占》にいう、天一星は地道に属する。それは形体が小さくして光あるべく、そうであれば陰陽は調和し万物は成熟する。もし天一星がまた大きくまた明盛であれば、水旱が調を失い五穀が熟せず天下に大きな飢饉が闊き、百姓は流亡して家郷を離れるを主る。《黄帝占》にまたいう、天一星が明浄にして光沢潤潔であれば、天子はすなわち吉利である。石氏はいう、天一星は明亮して光あるべく、そうであれば陰陽は調和し万物は成熟する。また一条の占辞にいう、天一星が隠没して見えなければ、天下はまさに動乱し、貴人は位を離れて去る。《荊州占》にいう、天一の星の光が盛んであれば、君主は吉慶昌隆する。《石氏賛》にいう、天一と太一はいずれも天帝の身辺の神で、天神に承奉する事を主掌する。

太一星占 六十二

石氏曰:“太一一星,在天一星南,相近。”(入軫十度,去極十度,在黃道內七十四度半也。)《祖暅占》曰:“太一,赤,天帝神也;主使十六神,知風雨、水旱、兵革、饑饉、疾疫,災害所在之國。”石氏曰:“天一星明,吉;不明,不吉。”《合誠圖》曰:“太一離其位而乘斗,後九十日,兵必起。”《荊州占》曰:“太一星失其位,則天子有所之未反。”又占曰:“太一之居,左文而右武,後極而前行,四帝方旁,眾神為輔;文武不明,輔乃不強。”

石氏はいう、太一はただ一つの星で、天一星の南辺に在り、両星は相近い。原書の小注がその座標を記す:軫宿十度に入り、北天極から十度、黄道以内七十四度半にある。《祖暅占》にいう、太一は色が紅く、天帝の神で、それは十六位の神祇を統轄役使し、風雨・水旱・兵革・飢饉・瘟疫、および災害がいずれの国家に落ちるかを掌知する。石氏はいう、天一星が明亮するを吉とし、明亮せざるを不吉とする。《春秋合誠図》にいう、太一が本位を離れて北斗の上に凌駕すれば、これより後九十日に、必ず兵事の興起がある。《荊州占》にいう、太一星が本位を失えば、天子が出行して外に在ってまだ返らざるを主る。また一条の占辞にいう、太一の居する所は、左辺は文に属し、右辺は武に属し、後ろは北極、前は行道、四方の天帝は旁側に分列し、衆神は輔佐に充当する。もし文武の両方が明るくなければ、輔佐の力もまた強からず。

開元占経 巻六十八

石氏外官

庫楼占 一

石氏曰:“庫樓十星,五柱十五星,衡四星,凡二十九星,左角南。”(西北星入軫少,去極百四十度,在黃道外二十一度太,庫樓一曰天庫,兵車之府也,其大六星,庫也;西四星,樓也;旁十五星,三三而聚者,柱也;中央小星,衡也。)巫咸曰:“天庫,金官也。”《春秋元命苞》曰:“天庫,主陳兵。”《黃帝占》曰:“五車外庫者,芒角明大,星多蕃眾,則兵大起,車騎多用;庫樓所指者兵,所指者兵所往,人能知;庫樓者,使人不忘。”

石氏はいう、庫楼は十の星、五柱は十五の星、衡は四の星、合計二十九の星で、位は左角星の南面に在る。原書の小注がその座標と構成を記す:西北のあの星は軫宿少許に入り、北天極から百四十度、黄道以外二十一度又四分の三にある。庫楼はまた「天庫」とも呼ばれ、兵車を存放する府庫で、その中の大きな六つの星は庫、西辺の四つの星は楼、そばの十五の星は三つごとに聚まって一組を成して柱、中央の小星はすなわち衡である。巫咸はいう、天庫は五行において金官に属する。《春秋元命苞》にいう、天庫は兵甲を陳列することを主掌する。《黄帝占》にいう、五車の外の庫星は、もし芒角が明亮碩大で星数が繁多衆盛であれば、兵事が大いに起き車騎が大量に徴調されるを主る。庫楼の指す方位はすなわち兵事のあるところで、また兵馬の往く方向でもあり、人はこれに拠って予知できる。庫楼の用は、すなわち人に武備を忘れさせないことである。

《洛書》曰:“庫樓兵動,害及胡;一曰戎馬驚。”《洛書》曰:“庫無星,下土臣逆,謀兵乃生。”《春秋緯》曰:“天庫虛,諸侯謀反;一曰中州謀兵四合。”《春秋考異郵》曰:“王者謀伐四夷,則庫兵動。”又占曰:“庫樓五柱皆動,五將盡行;五柱生角若芒,多公及具無處車馬。”石氏曰:“庫樓及五柱皆不見,兵車盡出,天子自將兵。”焦延壽曰:“天樓星上近柱,王者樓殿有飛不如其處,若有天火燒之者。”郗萌曰:“天庫主遠兵,星搖者,其將行;星皆動,將盡行。”郗萌曰:“天庫星眾,則藏善散,若皆去;則兵起。”《石氏贊》曰:“庫樓之官兵所藏,其中欲實,惡虛空。”

《洛書》にいう、庫楼に兵動の象があれば、禍害は胡人に波及し、もう一説は胡地の戎馬が驚くという。《洛書》にまたいう、庫の中に星がなければ、下方国土の臣子が叛逆し、兵を謀る事がまさに発生するを主る。《春秋緯》にいう、天庫が空虚であれば、諸侯は反叛を図謀し、もう一説は中州に兵を謀る事があって四面に囲合するという。《春秋考異郵》にいう、君王が四方の夷狄を征伐することを謀劃すれば、庫中の兵星はすなわち動く象がある。また一条の占辞にいう、庫楼の五柱がいっせいに揺動すれば、五位の将領はいずれも出征する。五柱に芒角あるいは光刺が生じれば、公侯が衆多で車馬に安置する所なきを主る。石氏はいう、庫楼と五柱がいずれも隠没して見えなければ、兵車は全部出動し、天子は自ら兵を統える。焦延寿はいう、天楼星の上端が柱星に逼近すれば、君王の楼殿に飛挙して位を失う変があり、あるいは天火の焚焼に遭うを主る。郗萌はいう、天庫は遠方の兵事を主掌し、星が揺動すれば、その将領はまさに出行し、諸星がいずれも揺動すれば、衆将はいずれも出征する。郗萌にまたいう、天庫の星数が衆多であれば、儲蔵は散発に便で、もし諸星がいずれも離去すれば、兵事の興起を主る。《石氏賛》にいう、庫楼のこの官署は兵器の蔵するところで、当に充実すべく、最も空虚を忌む。

南門星占 二

石氏曰:“南門二星,在庫樓南。”(右星入軫十四度,去極百三十度,在黃道外二十一度太。)《春秋緯》曰:“角南兩大星,曰南門。”(南門,天之外門也。)《黃帝占》曰:“南門星欲明,執法吉,人主昌;吉星若不明,非其故,則臣不忠,若有兵起,王者憂。”石氏曰:“南門中有小星三芒者,則兵車出。”《石氏贊》曰:“南門二星,主守兵。”

石氏はいう、南門は二つの星で、庫楼の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西側のあの星は軫宿十四度に入り、北天極から百三十度、黄道以外二十一度又四分の三にある。《春秋緯》にいう、角宿の南の二つの大星は、すなわち南門と呼ぶ。原書の小注にいう、南門は上天の外門である。《黄帝占》にいう、南門星は明亮なのを宜しとし、そうであれば執法の官は吉利で、君主は昌盛する。この吉星がもし明亮でなく常態を失えば、臣下の不忠を主り、あるいは兵事が興起し、君王に憂患がある。石氏はいう、南門の当中に三道の芒刺を帯びた小星が現われれば、兵車の出動を主る。《石氏賛》にいう、南門の二星は、兵備の守衛を主る。

平星占 三

石氏曰:“平星二星,在庫樓北。”(西星入軫十四度,去極百度,在黃道外十一度太也。)《春秋合誠圖》曰:“平星,主廷平。”《論讖》曰:“平星,主法。”《黃帝占》曰:“平星,欲其明而正直,大小齊同而明,君臣和,政令行;其星不明,差戾不正,君臣不和,政法荒亂。”石氏曰:“平星欲齊等,廣狹有常,高下不差,則天下治,萬物成。”《石氏贊》曰:“平星執法正紀綱,其星差戾政亂荒。”郗萌曰:“平星主天下之獄事,若今廷尉之象。”

石氏はいう、平星は二つで、庫楼の北面に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は軫宿十四度に入り、北天極から百度、黄道以外十一度又四分の三にある。《春秋合誠図》にいう、平星は廷尉平という断獄の官を主掌する。《論讖》にいう、平星は法律を主掌する。《黄帝占》にいう、平星は明亮にして端正なのを宜しとし、両星の大小が整斉一致してまた明亮であれば、君臣の和睦・政令の通行を主る。この星がもし明亮でなく、参差して偏斜して端正でなければ、君臣の不和・政令法度の荒廃紊乱を主る。石氏はいう、平星は彼此斉等であるべく、間距は宽窄に常があり、高低は相偏差せず、そうであれば天下は大治し万物は成熟する。《石氏賛》にいう、平星は法度を執掌し綱紀を整粛し、この星が参差乖戾すれば、政事は荒乱する。郗萌はいう、平星は天下の獄訟の事を主掌し、譬えば当今の廷尉という職の星象のようである。

騎官星占 四

石氏曰:“騎官二十七星,在垣南。”(西行北星入,亢四度太,去極百一十五度半,在黃道外十九半也。)石氏曰:“騎官,一名輕能;星眾,天下安;星少,騎士畔。”(騎官者,今虎賁也。)石氏曰:“房南眾星曰騎官將軍;騎官主宿衛;一曰騎官,金官也。”《黃帝占》曰:“騎官者,宿衛帝宮,以防不虞;其星常眾而明,王者後宮吉,天下安;其星微少,若芒不見,守衛憂兵大起,騎乘出。”《荊州占》曰:“騎官星眾,則騎出;一曰星無故皆去,則騎官東守衛王。”

石氏はいう、騎官は二十七の星で、星垣の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西行の北面のあの星は亢宿四度又四分の三に入り、北天極から百十五度半、黄道以外十九度半にある。石氏はいう、騎官はまた「軽能」とも名づく。この官の星数が衆多であれば、天下は安定し、星数が稀少であれば、騎士はまさに叛離する。原書の小注にいう、騎官はすなわち当今の虎賁の武士である。石氏にまたいう、房宿の南の一片の星を騎官将軍と呼ぶ。騎官は宿衛を主掌し、ある人は騎官は五行において金官に属するという。《黄帝占》にいう、騎官の職任は天帝の宮室を宿衛し、以て意外の変に備える。これらの星が常に衆多にして明亮であれば、君王の後宮は吉利で、天下は安寧する。もし星光が微弱稀少であるか、あるいは芒角が隠没して見えなければ、守衛の憂い・兵事の大起・騎兵の出動を主る。《荊州占》にいう、騎官の星数が衆多であれば、騎兵の出動を主り、もう一説はこれらの星が故なくいっせいに位を離れれば、騎官はまさに東に向かって君王を守衛するという。

積卒星占 五

石氏曰:“積卒十二星,在房心南。”(西星入氐十三度太,去極百二十四度少,在黃道外二十一度少也。)石氏曰:“積卒一名衛士,芒角動,聚兵事;一曰積卒,兵官,金官也。”郗萌曰:“積卒者,士也,積士也者,所以衛卒暴。”巫咸曰:“積卒,兵官,金官也。”《黃帝占》曰:“積卒主守衛明堂,其星欲微小而明,則天子吉,其國安昌;若明大動搖,則君臣不寧,朝廷有兵;一曰積卒主守衛。”《春秋合誠圖》曰:“積卒主衛尉。”石氏曰:“積卒一星亡,兵少半;出二星,亡兵大半;出三星,亡兵盡出。”《海中占》曰:“積卒不如其故,兵其微細,若不見,兵車盡出,士卒滿野。”《石氏贊》曰:“積卒十二星掃明堂。”

石氏はいう、積卒は十二の星で、房宿・心宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は氐宿十三度又四分の三に入り、北天極から百二十四度又四分の一、黄道以外二十一度又四分の一にある。石氏はいう、積卒はまた「衛士」とも名づき、それが芒角に変動あれば、兵事の聚集を主る。ある人は積卒は兵官で、五行において金官に属するという。郗萌はいう、積卒はすなわち士卒で、士卒を聚積する用は、仓卒の暴乱を防衛することである。巫咸はいう、積卒は兵官で、五行において金官に属する。《黄帝占》にいう、積卒は明堂を守衛することを主掌し、これらの星は細小にして明亮なのを宜しとし、そうであれば天子は吉利で国家は安定昌盛する。もし星光が明大にして揺動すれば、君臣が安寧を得ず朝廷に兵事のあるを主る。もう一説は積卒は専ら守衛を主るという。《春秋合誠図》にいう、積卒は衛尉の職を主掌する。石氏はいう、積卒が一つの星を隠没すれば、出兵は半に足らず、二つの星を隠没すれば、出兵は大半を超え、三つの星を隠没すれば、兵力は全数出動する。《海中占》にいう、積卒が平常に如かず、星光が微細で、さらには隠没して見えなければ、兵車が全部出動し士卒が原野に布満するを主る。《石氏賛》にいう、積卒の十二星は、明堂のために道を清め洒掃して、以て宿衛に備える。

亀星占 六

石氏曰:“龜五星,在尾南。”(頭尾入尾十二度,去極百三十一度,在黃道外二十一度。)《黃帝占》曰:“龜星,一名連珠,贊神明;其星明,則君臣和好,奉祀神明嶽瀆;其星不明,則上下乖離,臣逆於君,不事鬼神,其國不安,主有憂。”《黃帝占》曰:“龜星不居漢中,川有易者。”石氏曰:“龜星常居漢中,吉;星明,君臣和;不明,即乖。”又占曰:“龜星常居漢中,則陰陽和,雨澤時;星若不居漢中,有易水;一曰天下水,早物不成。”《石氏贊》曰:“龜星在東,贊神明。”

石氏はいう、亀星は五つで、尾宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:首尾の一列は尾宿十二度に入り、北天極から百三十一度、黄道以外二十一度にある。《黄帝占》にいう、亀星はまた「連珠」とも名づき、職は神明を輔賛するに在る。この星が明亮すれば、君臣の和睦を主り、山岳・江河の諸神の祭祀を敬奉できる。この星が明亮でなければ、上下の乖違離散を主り、臣子は君主に悖逆し、鬼神に祭事せず、その国家は安寧を得ず、君主に憂患がある。《黄帝占》にまたいう、亀星が天漢の中に居らざれば、河川はまさに道を改める。石氏はいう、亀星が常に天漢の中に居るを吉とし、星が明亮すれば君臣は和睦し、明亮でなければ君臣は乖離する。また一条の占辞にいう、亀星が常に天漢の中に居れば、陰陽は調和し雨水は時に応じ、この星がもし天漢の中に居らざれば、河水の道を改めるがあり、もう一説は天下に水患があり、作物は早く枯れて成熟できるないという。《石氏賛》にいう、亀星は東方に在り、職は神明を輔賛するに在り。

傅説星占 七

石氏曰:“傅說一星,在尾後。”(入尾十二度太,去極百二十度半,在黃道外十三度太。)《黃帝占》曰:“傅說星,主後宮,祈神明,保子孫;文章祝說,以求福慶;其星明,則後宮吉,子孫昌;其星不明,或若不見;則後宮人多疾,子孫凶,多有死者。”《春秋元命苞》曰:“傅說主祝章,巫官也;章,請號之聲也。傅說,蓋女巫也,主王后之內祭祀,以祈子孫,廣司胤嗣。”石氏曰:“傅說星亡,社稷無主。”石氏曰:“傅說星明大,則吉;不明者,天一多禱祠。”焦延壽曰:“傅說星入尾,天下有祝詛人主者,若有巫醫之害;以入日占國。”郗萌曰:“傅說星光明,王命興,輔佐出。”《荊州占》曰:“傅說星明大,王者多子孫;一曰傅說主祝章。”

石氏はいう、傅説はただ一つの星で、尾宿の後に在る。傅説はもとは殷の高宗・武丁の賢相で、旧説は彼が死して後天に升り星宿と化し、尾宿のそばに附するという。原書の小注がその座標を記す:尾宿十二度又四分の三に入り、北天極から百二十度半、黄道以外十三度又四分の三にある。《黄帝占》にいう、傅説星は後宮を主掌し、神明に祈禱して、子孫を保佑し、祝禱の辞章を用いて福慶を求取する。この星が明亮すれば、後宮は吉利で、子孫は昌盛する。この星が明亮でないか、あるいは隠没して見えなければ、後宮の人は病が多く、子孫に凶事があり、死亡が多い。《春秋元命苞》にいう、傅説は祝章を主掌し、巫祝の官である。いわゆる「章」とは、すなわち祈請呼号の声である。傅説はおそらく女巫を指し、王后の宮内の祭祀を主掌し、以て子孫を祈求し、後嗣を広く衍らせる。石氏はいう、傅説星が隠没して見えなければ、国家社稷には主人なきとなる。石氏にまたいう、傅説星が明亮碩大であれば吉利で、明亮でなければ、天一の神に多く禱祀すべきである。焦延寿はいう、傅説星が尾宿に侵入すれば、天下に君主を呪詛する人あるを主り、あるいは巫医の作祟の害がある。それが侵入する日辰に拠って推占していずれの国に応ずるかを見る。郗萌はいう、傅説星の光が明ければ、王命の興盛を主り、輔佐の臣が出現する。《荊州占》にいう、傅説星が明亮碩大であれば、君主の子孫は衆多で、もう一説は傅説は祝章を主掌するという。

魚星占 八

石氏曰:“魚一星,在尾後河中。”(入尾十四度,去極百二十二度在黃道外十二度也。)《黃帝占》曰:“魚星,一名據星;一名蒙星;忽然不明而在,則魚多;星亡,則魚少。”《黃帝占》曰:“魚星,主雲旗,其星忽然不明,如雲常居漢中,微而不明,則陰陽和,風雨時;其星明而動搖,則陰陽不調,雨澤不時,有大水。”《春秋元命苞》曰:“魚星主雲旗,統陰事,調和雲雨之期。”

石氏はいう、魚星はただ一つで、尾宿の後の天河の中に在る。原書の小注がその座標を記す:尾宿十四度に入り、北天極から百二十二度、黄道以外十二度にある。《黄帝占》にいう、魚星はまた「拠星」とも名づき、また「蒙星」とも名づく。それが忽然として暗く変じてもなお原所に留まれば、魚産の豊多を主る。この星が隠没して見えなければ、魚産の稀少を主る。《黄帝占》にまたいう、魚星は雲旗を主掌し、この星が忽然として明亮でなく、雲気のごとく常に天漢の中に留まり、微弱にして明らかでなければ、陰陽の調和・風雨の時に応ずるを主る。この星が明亮して揺動すれば、陰陽の失調・雨水の時令に合わざるを主り、大水があるであろう。《春秋元命苞》にいう、魚星は雲旗を主掌し、陰に属する事務を統領し、雲雨の到来する時節を調和する。

《黃帝占》曰:“魚星常居河旁;中河而處,則兵起,期七月;常在河東,近箕。”石氏曰:“魚星大而明,則陰陽和。”又曰:“魚星動搖,則水暴出。”又曰:“魚星出河,大魚死;一曰旱。”《海中占》曰:“魚星中河而居,而明大,天下大水,津道塞;若微小,出河,中外天下大旱,五穀不成。”焦延壽曰:“魚星明,則河海水皆出。”班固《五行志》曰:“魚星中河而處,車騎滿野。”《石氏贊》曰:“漢中魚星知雲行。”

《黄帝占》にいう、魚星は常に天河のそばに居る。もし天河の正中に居れば、兵事の興起を主り、応期は七ヶ月である。それは平常は天河の東辺に在り、二十八宿の箕宿に近い。石氏はいう、魚星が碩大にして明亮であれば、陰陽の調和を主る。またいう、魚星が揺動すれば、大水の暴漲して出るを主る。またいう、魚星が天河を移出すれば、大魚の死亡を主り、もう一説は干ばつを主るという。《海中占》にいう、魚星が天河の正中に居ってまた明亮碩大であれば、天下に大水が発し、渡口の道路が阻塞するを主る。もしそれの星光が微小にして天河を移出すれば、中原と四方天下の大旱を主り、五穀は熟さない。焦延寿はいう、魚星が明亮であれば、江河・湖海の水がいずれも漲溢して出るを主る。班固《五行志》にいう、魚星が天河の正中に居れば、車騎が原野に布満するを主る。《石氏賛》にいう、天漢の中の魚星は、雲気の行止と雨水の来去を予知できる。

杵星占 九

石氏曰:“杵三星,在箕南。”(北星入箕一度太,去極百三十二度半,在黃道外二十一度太。)巫咸曰:“杵臼,土官也。”《黃帝占》曰:“杵星明而動,天下有兵,杵臼用事,軍糧急;其星微小,天下安寧而無兵。”石氏曰:“天杵臼動,則民失其釜甑,大去其鄉;杵縱則民足食,橫則民飢。”石氏曰:“天杵臼星不具,民賣釜甑。”甘氏曰:“杵臼星明,則天下安,五穀成,杵臼用,其年豐;星若不明,歲大惡,五穀不成,杵臼不用;一曰杵在箕南,給庖舂。”

石氏はいう、杵は三つの星で、箕宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:北辺のあの星は箕宿一度又四分の三に入り、北天極から百三十二度半、黄道以外二十一度又四分の三にある。巫咸はいう、杵臼は五行において土官に属する。《黄帝占》にいう、杵星が明亮して揺動すれば、天下に兵事があり、杵臼が用場に派し、軍糧が告急するを主る。この星が細小であれば、天下の安寧と兵事なきを主る。石氏はいう、天上の杵臼が揺動すれば、百姓はまさに鍋釜・甑甗を失い、大批に家郷を離れる。杵星が縦に排列すれば、百姓は豊衣足食し、横に排列すれば、百姓はまさに飢える。石氏にまたいう、天上の杵臼の星数が全からなければ、百姓はまさに鍋釜・甑甗を売変する。甘氏はいう、杵臼の星が明亮すれば、天下は安定し、五穀は成熟し、杵臼は用うるところがあり、その年は豊収である。この星がもし明亮でなければ、年成は極めて悪く、五穀は熟せず、杵臼もまた用場に派さない。もう一説は杵は箕宿の南に在り、厨下の舂米の用に供給するという。

鼈星占 十

石氏曰:“鱉十四星,在南斗。”(右星入南斗一度,去極百二十九度半,在黃道外十四度也。)《黃帝占》曰:“鱉星常居漢中,微而不明,則天下和,雨澤時;其星若不居漢中,則陰陽不和,天下旱。”石氏曰:“鱉一星去,有白衣之會;二星去,有大喪;以去日占國。”班固《天文志》曰:“鱉星不居漢中,有易川者。”《石氏贊》曰:“鱉星為水蟲,太陰也。”

石氏はいう、鼈星は全部で十四の星で、南斗の一帯に在る。南斗はすなわち二十八宿中の斗宿である。原書の小注がその座標を記す:西側のあの星は南斗一度に入り、北天極から百二十九度半、黄道以外十四度にある。《黄帝占》にいう、鼈星が常に天漢すなわち銀河の中に居り、微弱にして明亮でなければ、天下の和平・雨水の時に応ずるを主る。この星がもし天漢の中に居らざれば、陰陽の不和・天下の干ばつを主る。石氏はいう、鼈星が一つを離去すれば、喪事の会あるを主り、二つを離去すれば、大喪あるを主る。それが離去する日辰に拠って推占していずれの国に応験するかを見る。班固《天文志》にいう、鼈星が天漢の中に居らざれば、河川がまさに道を改めるを主る。《石氏賛》にいう、鼈は水中の虫で、太陰の象に属する。

九坎星占 十一

石氏曰:“九坎九星,在牽牛南。”(西南星入斗十四度半,去極百三十六度,在黃道外十九度太。)巫咸曰:“九坎,水官也。”《荊州占》曰:“九坎九星,主水旱之事。”《黃帝占》曰:“九坎,主通水泉。星明,則陰陽調和,百川通流,皆注於海;星若不明,百泉不通,河海枯竭,天下大旱,人民饑饉,國有憂。”石氏曰:“微,吉;明,不吉。”《石氏贊》曰:“九坎九星水泉通。”

石氏はいう、九坎は九つの星で、牽牛の南面に在る。「坎」とは低く陥って水を蓄えるところで、九坎はすなわち溝洫・水泉を以て象とする。原書の小注がその座標を記す:西南のあの星は南斗十四度半に入り、北天極から百三十六度、黄道以外十九度又四分の三にある。巫咸はいう、九坎は五行において水官に属する。《荊州占》にいう、九坎の九星は、水旱の事を主掌する。《黄帝占》にいう、九坎は水泉を疏通することを主掌する。この星が明亮であれば、陰陽の調和・百川の暢流を主り、すべて匯注して海に入る。この星がもし明亮でなければ、衆泉の不通・江河湖海の枯竭・天下の大旱・百姓の飢饉・国家の憂患あるを主る。石氏はいう、九坎の星光は微弱を吉とし、明亮すればかえって不吉である。《石氏賛》にいう、九坎の九星は、水泉の通暢を主る。

敗臼星占 十二

石氏曰:“敗臼四星,在虛危南。”(西南星入須女十度,去極百三十一度少,在黃道十九度。)《荊州占》曰:“敗臼四星,主正治之事。”《黃帝占》曰:“敗臼,主殃凶。其星微而不明,溫溫然,則主者吉,人民安;星明而動搖者,人主有憂,疾多災凶,人民愁苦,天下不安,多死喪。”石氏曰:“敗臼一星不具,民賣釜甑,去其處;一曰敗臼四星,主凶災。”

石氏はいう、敗臼は四つの星で、虚宿・危宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:西南のあの星は須女宿十度に入り、北天極から百三十一度又四分の一、黄道十九度にある。《荊州占》にいう、敗臼の四星は、匡正・治理の事を主掌する。《黄帝占》にいう、敗臼は災殃・凶禍を主掌する。この星が微弱にして明亮でなく、光色が温潤和緩であれば、君主の吉利・百姓の安寧を主る。この星が明亮して揺動すれば、君主に憂患あり、疾病と災凶が頻仍で、百姓は愁苦し、天下は安寧を得ず、死喪が衆多であるを主る。石氏はいう、敗臼の星数が全からなければ、百姓はまさに鍋釜・甑甗を売変し、原住の処を離れる。もう一説は敗臼の四星は専ら凶災を主るという。

羽林星占 十三

石氏曰:“羽林四十五星;壘壁陣十二星;凡五十七星,在營室南。”(四星入危四度太,去極百二十度太,在黃道外十三度太也。)郗萌曰:“羽林一名材官;一名天南庫;一名單于軍;又主翌王。”《春秋合誠圖》曰:“危南有眾星,曰:羽林,為天軍;又羽林軍,水官也。”《元命苞》曰:“羽林主軍騎。”《黃帝占》曰:“羽林星,三三而居,行列相隨,守衛之官也。其星實而眾明,王者吉,其國安;星希而不明,若動,兵士出;星若亡不見;天下兵盡出。”

石氏はいう、羽林は四十五の星、塁壁陣は十二の星、合計五十七の星で、営室の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:その中の四つの星は危宿四度又四分の三に入り、北天極から百二十度又四分の三、黄道以外十三度又四分の三にある。郗萌はいう、羽林はまた「材官」とも名づき、また「天南庫」とも名づき、また「単于軍」とも名づき、また君王を翼衛することを主掌する。《春秋合誠図》にいう、危宿の南の一片の星を羽林と呼び、上天の軍隊である。羽林軍は五行において水官に属する。《春秋元命苞》にいう、羽林は軍中の騎兵を主掌する。《黄帝占》にいう、羽林の諸星は三つごとに聚まって一処をなし、行列は相随い、守衛の官である。これらの星が密実にして遍く明亮であれば、君王は吉利で国家は安定する。星光が稀疏にして明亮でないか、あるいは揺動すれば、兵士の出征を主る。これらの星がもし隠没して見えなければ、天下の兵力が全数出動するを主る。

郗萌曰:“羽林星不欲動,動即有兵,不出六十日,兵車發,有所之而起。又曰:不出三十日有兵。”又曰:“羽林中無星,天下兵盡出;一曰大將軍發,若大赦。”《春秋元命苞》曰:“壘城在軍位。”郗萌曰:“壘城鉞,主斬矛。”又曰:“陣星備武,急非其故,兵起,有破軍殺將。”《石氏贊》曰:“羽林眾星主翼王。”《石氏贊》曰:“壘壁陣十二星,為營壅。”

郗萌はいう、羽林の諸星は揺動するを宜しとせず、一たび揺動すればすなわち兵事があり、六十日を出ずして、兵車は発動し、出師してある地に往く挙がある。またいう、三十日を出ずしてすなわち兵事がある。またいう、羽林の中に星が一つもなければ、天下の兵力が全数出動するを主り、もう一説は大将軍の出師、あるいは大赦があるという。《春秋元命苞》にいう、塁城は軍陣の位次の上に処る。郗萌はいう、塁城の鉞星は、斬伐・矛戟の事を主掌する。またいう、陣星は武備の象徴で、一旦急変して常を失えば、兵事の興起を主り、軍隊の潰敗・将領の殺害があるであろう。《石氏賛》にいう、羽林のこの一片の星は、君王を翼衛するを主る。《石氏賛》にまたいう、塁壁陣の十二星は、軍営の壁塁である。

北落星占 十四

石氏曰:“北落一星,在羽林西南。”(入危九度,去極百三十度太,在黃道外二十三度半。)郗萌曰:“羽林西南有大赤星,狀如大角,天軍之門也,名曰北落,一名師門。”(北者,宿在北也;落者,天軍之北落也,師者,眾也;門者,軍門也。)《春秋合誠圖》曰:“北落主非常。”《黃帝占》曰:“北落師門,星明大,士卒昌,大將軍強;星微小,若亡不見,天下兵,大將出行,其國不寧,主有憂。”《春秋元命苞》曰:“北落角者,兵起。”《文曜鉤》曰:“北落亡角,有軍。”《石氏贊》曰:“北落師門一星,主候兵。”

石氏はいう、北落はただ一つの星で、羽林の西南に在る。原書の小注がその座標を記す:危宿九度に入り、北天極から百三十度又四分の三、黄道以外二十三度半にある。郗萌はいう、羽林の西南に一つの紅色の大星があり、形状は大角星に似て、天軍の門戸で、名を北落と呼び、また師門とも呼ぶ。原書の小注が解釈する:いわゆる「北」とは、その宿位が北方に在るがためであり、いわゆる「落」とは、天軍の北面の営落であり、「師」とは衆多の意であり、「門」とはすなわち軍門である。《春秋合誠図》にいう、北落は非常の変を主掌する。《黄帝占》にいう、北落師門の星が明亮碩大であれば、士卒の昌盛・大将軍の強健を主る。星光が微小で、さらには隠没して見えなければ、天下に兵あり、大将は出征し、その国家は安寧を得ず、君主に憂患あるを主る。《春秋元命苞》にいう、北落に芒角が生出すれば、兵事の興起を主る。《春秋文曜鈎》にいう、北落が芒角を失えば、軍事あるを主る。《石氏賛》にいう、北落師門のこの一星は、兵事の動静を観候するを主る。

土司空星占 十五

石氏曰:“土司空一星,在奎南。”(入壁七度太,去極百二十度少,在黃道外二十四度也。)《春秋合誠圖》曰:“司空主土城。”石氏曰:“土司空星大,天下安,又曰色黃明則吉;一曰知禍殃。”《黃帝占》曰:“土司空星明而黃潤,則天下安吉,王者吉;其星不明,若亡不見,其國有喪,若土功之事,若有旱災。”

石氏はいう、土司空はただ一つの星で、奎宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:壁宿七度又四分の三に入り、北天極から百二十度又四分の一、黄道以外二十四度にある。《春秋合誠図》にいう、司空は土木・城池の事を主掌する。石氏はいう、土司空星が碩大であれば、天下は安定する。またそれが色黄にして明亮であれば吉利という。もう一説はこの星は禍殃を予知できるという。《黄帝占》にいう、土司空星が明亮して黄潤であれば、天下の安定吉慶・君王の吉利を主る。この星が明亮でなく、さらには隠没して見えなければ、その国家に喪事あり、あるいは土木を興す役あり、あるいは旱災あるを主る。

天倉星占 十六

石氏曰:“天倉六星,在婁南。”(南星入奎四度太,去極百二十度,在黃道外十八度。)郗萌曰:“天倉者,天司農也。”《黃帝占》曰:“天倉,主倉府之藏也;天倉中星眾,穀粟聚其中,積儲實;其中星希少,倉中虛耗,無儲積,粟散出。”石氏曰:“天倉戶開,則歲大熟,粟聚倉;戶閉,歲谷不登,天下民飢。”《黃帝占》曰:“天下有兵,而倉庫之戶俱開,主人勝客,客事不成,期二十日發。”石氏曰:“天倉中星小眾盛,則粟聚,歲實;星希,歲耗;谷散倉,則天下亂,若大飢。”郗萌曰:“天倉星不具,道不通。”《黃帝占》曰:“天倉不見,其所臨軍分絕倉,大窮而亡。”《石氏贊》曰:“天倉六星。”

石氏はいう、天倉は六つの星で、婁宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:南辺のあの星は奎宿四度又四分の三に入り、北天極から百二十度、黄道以外十八度にある。郗萌はいう、天倉はすなわち上天の司農の官である。《黄帝占》にいう、天倉は倉庫・府蔵を主掌する。天倉の当中に星数が衆多であれば、穀粟がその中に聚積し儲備は充実するを主る。当中の星数が稀少であれば、倉中は空虚耗竭し、積儲なく、糧食は散失流出するを主る。石氏はいう、天倉の門戸が開啓すれば、その年は大熟し、粟米は倉廩に聚満する。門戸が閉合すれば、年穀は歉収し、天下の百姓は飢える。《黄帝占》にいう、天下に兵事があって、しかも倉庫の門戸がいずれも敞開していれば、主方が客方に戦勝するを主り、客方の事は成らず、応期は二十日の内に発動する。石氏はいう、天倉の当中に小星が衆多で光盛であれば、粟米の聚積・年成の充実を主る。星数が稀疏であれば、年成は耗損する。穀粟が倉外に散出すれば、天下の動乱を主り、あるいは大飢饉がある。郗萌はいう、天倉の星数が全からなければ、道路は通暢しない。《黄帝占》にいう、天倉が隠没して見えなければ、それが対応するあの軍隊の分野は糧倉が断絶し、極度の困窘に陥って覆亡するであろう。《石氏賛》にいう、天倉は全部で六つの星である。

天囷星占 十七

石氏曰:“天囷十三星,在胃南。”(東北入胃六度少,去極九十六度半,在黃道外十四度少。)《黃帝占》曰:“天囷主御糧,百庫之藏也。在野曰囷,在邑曰倉;一曰:圓曰囷,方曰倉。囷星欲明,其中星眾,百庫之藏實滿;其星不明,囷中星簡,庫藏空虛;若多散出,天下不安,其國有憂。”石氏曰:“天囷星明,則吉;微,則凶。”郗萌曰:“天囷見,即天下囷倉實;不見,即皆虛。”石氏曰:“天囷十三星,給御糧者也。”

石氏はいう、天囷は十三の星で、胃宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:東北のあの星は胃宿六度又四分の一に入り、北天極から九十六度半、黄道以外十四度又四分の一にある。《黄帝占》にいう、天囷は供御の糧食を主掌し、各類の府庫・儲蔵の象徴である。野外に設くを「囷」と呼び、城邑に設くを「倉」と呼ぶ。もう一説は円形のを囲と呼び、方形のを倉と呼ぶという。囷星は明亮なのを宜しとし、当中に星数が衆多であれば、各類の府庫・儲蔵が充実豊満するを主る。この星が明亮でなく、囷中の星数が簡少であれば、庫蔵の空虚を主る。もし糧食が大量に散出すれば、天下が安寧を得ず、その国家に憂患あるを主る。石氏はいう、天囷星が明亮すれば吉利で、微弱であれば凶である。郗萌はいう、天囷が見えれば、天下の囷倉は充実し、見えざれば、いずれも空虚である。石氏はいう、天囷の十三星は、御糧を供給する星官である。

天廩星占 十八

石氏曰:“天廩四星,在昂南。”(南星入胃十一度少,去極九十度,在黃道外九度太。)《春秋合誠圖》曰:“天廩,主廩倉。”巫咸曰:“天廩,一名天廥,主廩藏會計之事,其星齊明,則年豐國繞,人民安,王者吉;其星小而不明,歲惡,藏虛;人民飢;一曰臣受君祿。”《黃帝占》曰:“天廩星欲其明而盈實,則歲熟多粟;星黑而希,則歲敗腐矣。”

石氏はいう、天廩は四つの星で、昴宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:南辺のあの星は胃宿十一度又四分の一に入り、北天極から九十度、黄道以外九度又四分の三にある。《春秋合誠図》にいう、天廩は糧廩・倉儲を主掌する。巫咸はいう、天廩はまた「天廥」とも名づき、倉儲と会計の事を主掌する。これらの星が一律に明亮であれば、その年は豊収で国用は富饒し、百姓は安寧し、君王は吉利である。これらの星が細小にして明亮でなければ、年成は悪く、庫蔵は空虚で、百姓は飢える。もう一説はこの星は臣下が君主の俸禄を領受するを主るという。《黄帝占》にいう、天廩星は明亮して盈満充実なのを宜しとし、そうであれば年穀は成熟し粟米は充足する。星色が黒に発して稀疏であれば、その年は敗壊腐爛する。

天苑星占 十九

石氏曰:“天苑十六星,在昴畢南。”(東北星入畢二度太,去極百一十四度,在黃道外四十八度少。)巫咸曰:“天苑,金官也。”郗萌曰:“天苑,天子之苑也。”石氏:“天苑,天囷也,主馬牛羊非其故。若星不具,有斬死吏。”《黃帝占》曰:“天苑,主苑牧犧牲,牛羊之屬。其星行列齊明,苑中星眾,則畜牲蕃息,多饒野獸;其星微小,不明,若不見;苑中星希,則畜牧,不孳牛羊,野多死。”郗萌曰:“天苑星非其故,若不具,有斬刈之事。”《石氏贊》曰:“天苑十六星,主牛羊。”

石氏はいう、天苑は十六の星で、昴宿・畢宿の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:東北のあの星は畢宿二度又四分の三に入り、北天極から百十四度、黄道以外四十八度又四分の一にある。巫咸はいう、天苑は五行において金官に属する。郗萌はいう、天苑は天子の苑囿である。石氏はいう、天苑は天囷と同類で、馬・牛・羊がその常態を失う事を主掌する。もし星数が全からなければ、官吏の斬殺されるあるを主る。《黄帝占》にいう、天苑は苑中に犠牲を牧養することを主掌し、すなわち牛・羊の類の牲畜である。これらの星の行列が整斉明亮し、苑中に星数が衆多であれば、牲畜の繁衍・生息を主り、野獣もまた豊饒衆多である。これらの星が細小で明亮でなく、さらには隠没して見えず、苑中の星数が稀疏であれば、畜牧が旺盛ならず、牛・羊が孳生せず、野外に死亡多きを主る。郗萌はいう、天苑星がその常態を失うか、あるいは星数が全からなければ、斬殺・刈戮の事あるを主る。《石氏賛》にいう、天苑の十六星は、牛・羊を主掌する。

参旗星占 二十

石氏曰:“參旗九星,在參西;一名天弓。”(南星入畢九度半,去極九十三度,在黃道外十三度半也。)郗萌曰:“天弓九星不具,天下大赦,為兵赦,非無故自赦也;一名參旗;一曰天府。”《春秋緯》曰:“參旗在參西,勾曲九星。三處:一曰天旗;二曰天苑;三曰九游,以宣威,明開緒。”巫咸曰:“天弓,金官也。”《春秋緯》曰:“天旗,司五星之變;日月過之,熒惑守,日蝕星,天下亂。”郗萌曰:“天弓主司兵弩之事,其星動搖,有以迷惑主者。”

石氏はいう、参旗は九つの星で、参宿の西面に在り、また「天弓」とも名づく。原書の小注がその座標を記す:南辺のあの星は畢宿九度半に入り、北天極から九十三度、黄道以外十三度半にある。郗萌はいう、天弓の九つの星の星数が全からなければ、天下の大赦を主り、これは兵事のために行う赦免で、故なく自ら赦免するのではない。この星はまた参旗とも名づき、また天府とも呼ぶ。《春秋緯》にいう、参旗は参宿の西に在り、勾曲して排列する九つの星で、三処に分かれる。第一を天旗と呼び、第二を天苑と呼び、第三を九游と呼び、用いて威厳を宣布し開創の端緒を彰明する。巫咸はいう、天弓は五行において金官に属する。《春秋緯》にまたいう、天旗は五星の変異を稽察することを主掌する。日月がそれを経過し、熒惑がその間に守留するか、あるいは日食の星が現われれば、天下の動乱を主る。郗萌はいう、天弓は兵器・弓弩の事を主掌し、この星が揺動すれば、君主を迷惑する人あるを主る。

《黃帝占》曰:“參旗星不欲明,微小而直,王者安,天下無兵;明而曲狀,如張弓,天下不寧,兵大起,人民憂。”《禮含文嘉》曰:“王者制度有科,物應以宜,則參旗弓行。”(宋均注曰:弓行者,參旗星行列紆曲,似弓也。)《易緯》曰:“旗星明振,主自消,諸侯亂。”《禮緯》曰:“天子至卿士,旗旒中禮,制度有科,則參旗弓行,正齊均平。”石氏曰:“參旗不明,吉;明,有白衣會;一曰邊寇動,兵起;弓弩射,士發。”石氏曰:“參旗九星,不欲張。”

《黄帝占》にいう、参旗星は明亮するを宜しとせず、それが細小にして排列が平直であれば、君主の安泰・天下に兵事なきを主る。もし明亮して形状が彎曲して、張き開いた弓のごとければ、天下が安寧を得ず兵事大いに起き百姓が憂苦するを主る。《礼含文嘉》にいう、君王の典章・制度が分明で等次あれば、万物は各々その宜しきを得てこれと相応じ、参旗はすなわち彎弓の状を作して排列する。原書の小注に宋均を引いていう、いわゆる「弓行」とは、参旗の諸星の行列が紆曲して、形状が一張の弓に似るを指す。《易緯》にいう、旗星が明亮振揚すれば、君主が自ら消損し諸侯が乱をなすを主る。《礼緯》にいう、上は天子より下は卿士に至るまで、旌旗の旒飾がいずれも礼数に合い、典章・制度が分明で等次あれば、参旗はすなわち彎弓の状を作して排列し、端正斉整にして均衡平和である。石氏はいう、参旗は明亮せざるを吉とし、明亮すれば、喪事の会あるを主る。もう一説は辺境の寇盗の妄動・兵事の興起・弓弩の発射・兵士の出動を主るという。石氏にまたいう、参旗の九星は、張きて弓のごとくなるを宜しとしない。

玉井星占 二十一

石氏曰:“玉井四星,在參左足下。”(西南星入畢十二度少,去極百二十度太,在黃道外五十度少也。)巫咸曰:“玉井,水官。”《春秋緯》曰:“玉井,主軍敵。”《論讖》曰:“玉井、主粥廚。”《黃帝占》曰:“玉井星微小,如其故,則陰陽和,雨澤時,五穀成,天下安;其星明而動搖;有大水,五穀不成,人民大飢,國不寧。”郗萌曰:“玉井動搖,有水,不出二年。”《石氏贊》曰:“玉井四星,主水漿。”

石氏はいう、玉井は四つの星で、参宿の左足の下に在り、四星が囲合して形は一口の井のごとく、因って名を得た。原書の小注がその座標を記す:西南のあの星は畢宿十二度又四分の一に入り、北天極から百二十度又四分の三、黄道以外五十度又四分の一にある。巫咸はいう、玉井は五行において水官に属する。《春秋緯》にいう、玉井は軍中の敵情を主掌する。《論讖》にいう、玉井は粥食・庖厨を主掌する。《黄帝占》にいう、玉井星が細小で、平常のごとくであれば、陰陽の調和・雨水の時に応ずる・五穀の成熟・天下の安定を主る。この星が明亮して揺動すれば、大水あり、五穀熟せず、百姓は大いに飢え、国家は寧からざるを主る。郗萌はいう、玉井が揺動すれば、水災あるを主り、二年を出ずして応験するであろう。《石氏賛》にいう、玉井の四星は、水浆の類の飲食の物を主掌する。

屏星占 二十二

石氏曰:“屏星在玉井南。”(北星入觜太,去極百一十八度,在黃道外四十六度太。)《春秋緯》曰:“天屏主上疾。”石氏曰:“天屏星不具,人多疾。”《石氏贊》曰:“屏星在南,為屏風。”

石氏はいう、屏星は玉井の南面に在る。原書の小注がその座標を記す:北辺のあの星は觜宿四分の三度に入り、北天極から百十八度、黄道以外四十六度又四分の三にある。《春秋緯》にいう、天屏は君上の疾病を主掌する。石氏はいう、天屏の星数が全からなければ、人に疾病多きを主る。《石氏賛》にいう、屏星は南方に在り、遮挡に用いる屏風と為る。

厠星占 二十三

石氏曰:“廁四星,在屏東。”(西北星入參三度少,去極一百一十五度,在黃道外四十四度半。)郗萌曰:“廁星主觀天下疾病。”《黃帝占》曰:“天廁星欲黃赤,黃赤而明,吉;蒼黑,凶。”石氏曰:“廁星不具,貴人多病,一曰夭,一曰陷廁。”石氏曰:“廁星青黑,主有腰下之疾;黃吉,白凶,黑死,皆為貴人。”又曰:“黃澤者,歲熟。”《玉曆》曰:“廁星欲溫溫然明潤澤,則王者無疾病;出入不時,星若微小不見,人主帶病,腹腸之疾,若人民多疫。”《石氏贊》曰:“廁星在車,名自彰。”

石氏はいう、厠は四つの星で、屏星の東面に在る。原書の小注がその座標を記す:西北のあの星は参宿三度又四分の一に入り、北天極から百十五度、黄道以外四十四度半にある。郗萌はいう、厠星は天下の疾病を察看することを主掌する。《黄帝占》にいう、天厠星は黄紅色を以て宜しとし、黄紅にして明亮であれば吉利で、青蒼にして黒に発せば凶である。石氏はいう、厠星の星数が全からなければ、貴人に病多きを主る。もう一説は夭亡を主り、さらにもう一説は厠中に墜陥するを主るという。石氏にまたいう、厠星が青黒色を呈すれば、腰部以下の疾病あるを主る。色黄を吉とし、色白を凶とし、色黒は死を主り、応験する所はいずれも貴人の身に在る。またいう、色が黄くして潤沢であれば、年穀の成熟を主る。《玉暦》にいう、厠星は光色が温潤明浄なのを宜しとし、そうであれば君王に疾病なし。もしそれが出没して時令に合わざるか、あるいは星光が微小にして隠没に至れば、君主が病に染み、腸腹の疾を患い、あるいは百姓に瘟疫多きを主る。《石氏賛》にいう、厠星は車星の一帯に附して、名号は自ずから彰顕す。

天矢星占 二十四

石氏曰:“天矢一星,在廁南。”(入參七度,去極百二十三度,在黃道外五十三度也。)石氏曰:“天矢星,主候吉凶,色黃即吉,青白,黑凶。”《黃帝占》曰:“天矢星明,萬物有命。”《黃帝占》曰:“天矢星微,萬物流;星不具,多疾病;星亡,萬民大瘠。”又占曰:“常以春秋分候矢星,明黃而潤澤,則天下人民無疾病,王者安;其星不明,色青黑,天下人民有腰腸之病,其國飢,人民餓死。”《黃帝占》曰:“天矢色黃,為貴人吉;青白,願貴人疾;黑,貴人死;期三年。”石氏曰:“秋分候天矢,星亡,萬民大亂。”《荊州占》曰:“天矢星亡,萬民多死。”《石氏贊》曰:“天矢星在南,色慾黃。”

石氏はいう、天矢はただ一つの星で、厠星の南面に在る。「矢」はここでは「屎」に通じ、前の厠星と配して一組の星象を成す。原書の小注がその座標を記す:参宿七度に入り、北天極から百二十三度、黄道以外五十三度にある。石氏はいう、天矢星は吉凶を観候するを主り、色が黄なれば吉で、青・白・黒の三色はいずれも凶である。《黄帝占》にいう、天矢星が明亮すれば、万物は各々その命を得る。《黄帝占》にまたいう、天矢星が微弱であれば、万物は流散し、星数が全からなければ、疾病多きを主り、この星が隠没して見えなければ、万民は大量に瘦病する。また一条の占辞にいう、通常は春分・秋分に天矢星を観候し、それが明黄にして潤沢であれば、天下の百姓に疾病なく、君主は安泰である。この星が明亮でなく青黒の色を呈すれば、天下の百姓はまさに腰腸の病を患い、その国家は飢饉が閙ぎ、百姓は餓死する。《黄帝占》にいう、天矢の色が黄であれば、貴人の吉利を主り、色が青くして白を帯ぶれば、貴人の生病を主り、色が黒であれば、貴人の死亡を主り、応期は三年である。石氏はいう、秋分に天矢を観候して、この星が隠没して見えなければ、万民は大いに乱れる。《荊州占》にいう、天矢星が隠没して見えなければ、万民に死亡多し。《石氏賛》にいう、天矢星は南方に在り、顔色は黄を以て宜しとす。

軍市星占 二十五

石氏曰:“軍市星,在參東南。”(西星入井三度少,去極百十度,在黃道外三十一度。)石氏曰:“軍市十三星,水官也。”石氏曰:“軍市星眾,則軍有餘糧;星少,即軍飢。”巫咸曰:“軍市,水官也。”

石氏はいう、軍市星は参宿の東南に在る。原書の小注がその座標を記す:西辺のあの星は井宿三度又四分の一に入り、北天極から百十度、黄道以外三十一度にある。石氏はいう、軍市は全部で十三の星で、五行において水官に属する。石氏にまたいう、軍市の星数が衆多であれば、軍中に余糧があり、星数が稀少であれば、軍中はまさに飢える。巫咸はいう、軍市は五行において水官に属する。

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