囲城気
凡攻城圍邑,過旬日不雷雨者,城有輔助,疾去之,勿攻也,此皆勝氣,
およそ城を攻め邑を囲んで、旬日を過ぎても雷雨が降らなければ、その城は神祇の扶助があることを説明し、速やかに退き去るべきで、攻めてはいけない。以上は皆、相手方の「勝気」に属する。
凡攻城圍邑,赤氣在城上,黃氣四面繞之,城中有大將死,城降;城上有赤氣如飛鳥,擊之可破矣;或有氣出入者,人慾逃;或有氣如灰,氣出如覆其車上者,士多病,城屠;或城上無雲氣,士卒散;或城營上有赤雲,狀如聚人頭,下多死喪、流血,
城を攻め邑を囲む時、赤気が城上に止まり、黄気が四面からそれを環り繞っていれば、城中に大将が死に、城池が降服する。城上に飛ぶ鳥のような赤気があれば、それを撃てば破ることができる。気が出たり入ったりするものがあれば、城の中の人が逃げようとしている。気が灰燼のようで、現れ出ては車の上に覆うようなものは、守軍の士卒に病が多く、城は攻め破られ屠られる。城上に雲気がなければ、士卒は潰散する。城頭や営塁の上に赤雲があり、形が多くの人頭が集まり合ったようであれば、その下に死喪・流血の事が多い。
凡攻城,有白氣繞城而入者,急攻,可得;若有曲蛇從城外入城者,三日內,城屠,此皆敗氣。
城を攻める時、白気が城を繞ってそれから城の中に潜り入るものがあれば、急いで攻め、獲ることができる。もし蛇のように曲がった気が城外から城中に入れば、三日以内に城は攻め破られ屠られる。以上は皆、守る側の「敗気」に属する。
凡敵上有雲,如車蓋,不可擊;若有雲如雙青蛇,雲去,可擊,大勝。
敵営の上方に車蓋のように張り開いた雲があれば、攻撃してはいけない。もし二条の青蛇のような雲があれば、この雲が散ってから攻撃し、大勝することができる。
伏兵気
伏兵氣如幢節,在黑雲中,轉高銳,不可擊;城營上見有雲,如雄雞,城必降;邊城雲如蛟龍,所見處軍將失魄。
伏兵の気は形が儀仗の幢幡と符節のようで、黒雲の中に隠れ、ますます高く鋭くなり、攻撃してはいけない。城頭・営塁の上に雄鶏のような雲が現れれば、その城は必ず降服する。辺城の上空の雲が蛟龍のようであれば、雲が現れたその一カ所の軍の将は魂胆を失う。
敵上有雲,長如引素,如陣前銳,或白黑色,有謀;青色,有兵;赤色,有反;黃色,急去。
敵営の上方の雲が長く、引き開いた一匹の白絹のようで、前端が軍陣のように鋭い。この雲がもし白色または黒色ならば、相手に謀略があることを主る。青色は、まさに戦事があることを主る。赤色は、反逆があることを主る。黄色は、速やかに撤離すべきである。
敵上有氣如牽牛,未可擊;有雲如坐人,赤色,所臨必有卒兵來至驚恐,須臾而去。
敵営の上方に牽牛星のような気があれば、まだ攻撃してはいけない。端坐した人形のような雲があり、色が赤ければ、それが覆う所に必ず突然至った軍隊があり、一場の驚恐を引き起こすが、しばらくして退き去る。
軍気
凡占軍氣,與敵相對,將當訪軍中善相氣者,厚籠之,留令清朝若日中時,察彼軍及我軍上氣,皆紙筆錄記,上將軍,將軍察之,若我軍上氣不善,但警備鎮守,勿接戰。
およそ軍気を占望するにあたり、敵軍と対峙する時、主将は軍中で相気に長じた者を訪ね求め、優厚な待遇でこれを籠絡し、彼を留めて清晨あるいは正午の時に敵軍と我が軍の上方の雲気を観察させ、一律に紙筆で記録し、主将に呈報させ、主将が審断する。もし我が軍の上方の気が良くなければ、ただ戒備を強め、営塁を堅守し、出て接戦してはいけない。
敵在東、在南、在西、在北,每庚子日,及辰戌午未,登五丈高臺,去一里,占百人以上,便有氣。氣如塵埃,前卑後高者,將士精銳,不可擊;氣如堤阪,前後摩地,避之勿擊;見彼軍上氣,如塵埃粉沸,其色黃白,如旗幡暉暉然,無風而動,將士勇猛,不可擊;我軍如此,亦不用戰。
敵軍が東にあっても、南にあっても、西にあっても、北にあっても、庚子の日にあたり、および辰・戌・午・未の各時に、五丈の高い観台に登り、敵から一里ほど離れた所で望めば、駐屯する人数が百人以上であれば、上方に気がある。気が揚がった塵埃のようで、前が低く後が高ければ、相手の将士は精鋭で、攻撃してはいけない。気が長い堤の斜面のようで、前後とも地面に貼って拖いていけば、それを避けて攻撃してはいけない。相手の軍営の上方の気が細塵の飛び沸くようで、色が黄白、また旗幡のように光耀として閃き、風がないのに自ら揺れ動くのを見れば、相手の将士は勇猛で、攻撃してはいけない。この気が我が軍の上方に現れた場合も、同じく出戦の用はない。
凡對敵,或有氣來甚卑,不蔭覆人,上下掩構蓋道者,大賊必至,食不及飽,嚴備之。
敵と対峙する時、もし気が非常に低く圧して来て、低くて人身を蔭い覆うこともできず、上下交錯して遮蔽し、道路まで蓋ってしまうならば、大股の敵兵が必ず来襲し、来るのが急で飯も食べ飽きないほどだから、厳しく戒備すべきである。
軍勝気
凡雲起,王相者吉,凶死者凶,有勝無,實勝虛,高勝下,澤勝枯,長勝短,厚勝薄。我軍在西,賊軍在東,西高東下,西厚東薄,西澤東枯,西長東短,則我軍勝也。
およそ雲気が立ち起こる時、「王」「相」という当令して旺な気の位に処れば吉で、「凶」「死」という衰敗の位に処れば凶である。双方の気を比較するに:気あるは気なきに勝ち、充実は虚薄に勝ち、高は下に勝ち、潤沢は干枯に勝ち、長は短に勝ち、厚は薄に勝つ。仮に我が軍が西辺にあり敵軍が東辺にあって、西辺の気が高く東辺の気が低く、西辺が厚く東辺が薄く、西辺が潤沢で東辺が干枯し、西辺が長く東辺が短ければ、すなわち我が軍が勝つのである。
両軍気
兩軍相對,遙見軍上有氣,紛紛勃勃,如煙如塵,賊凶敗;軍上下日無氣者,其軍必敗;若我軍無氣,將修德撫士眾,存問寒暑,警誡固守;有赤色氣如火,從天下,入軍,軍亂將死;有黑氣如牛豬者,瓦解之氣,軍必敗;有白氣如瓜蔓連結部隊相隨,須臾罷而復出,及至八九而不斷者,賊必至,嚴守之;若雨氣濛濛圍城,有入處者,外兵當敗;入若有出者,內兵當突出。
両軍が相対する時、遥かに相手の軍営の上方の気が紛乱して翻り、煙のようでもあり塵のようでもあるのを望見すれば、これは敵方が凶で敗亡の象である。軍営の上下に終日気がなければ、その軍隊は必ず敗れる。もし気がないのが我が軍ならば、主将は徳を修め、士卒を撫し、寒く暑くとも慰め問い、厳しく警戒し堅守して出ない。赤色の気が火のように天から降りて軍中に入れば、軍中は大いに乱れ、主将が死ぬ。黒気の形が牛や豚のようであれば、これは土崩瓦解の気で、その軍隊は必ず敗れる。白気が瓜蔓のように一本一本連結し、部隊に随って行き、しばらく散じてまた現れ、八九次に及んでも絶えないものがあれば、敵兵が必ず至ることを説明し、厳しく防守すべきである。もし雨気が蒙蒙として城を囲み、城の中に潜り入る所があれば、城外の兵が敗れる。気が潜り入った後また出るものがあれば、城内の兵が突出して来ることを説明する。
凡氣安,則軍安也;氣動搖,則軍不安;氣四散去,軍破且敗。其氣如群羊,擊之必大克。
軍営の上方の気が安定すれば、軍隊は安定する。気が動揺して定まらなければ、軍隊は安まらない。気が四方に散って去れば、軍隊は潰散し敗亡する。相手の気が群れの羊のように散漫で紀なければ、それを攻撃すれば必ず大いに克つ。
兩軍相當,有氣如飛鳥徘徊,在我城上,或來而高者,兵銳,不可擊;兩軍相去十里內,三里外,軍上無氣,是死兵,擊之必大勝也;兩車欲戰,視彼軍氣,氛氳如焚,生軍之煙者,初必精銳不可當,待其氣散,擊之必勝;其氣黑,出如山,帶黃,是謝氣,敵人自降。
両軍が対峙し、気が飛鳥のように我が方の城上を徘徊し、あるいは遠くから漂い来て位置が高ければ、来る兵は精鋭で、攻撃してはいけない。両軍の相距るが十里以内・三里以外で、相手の軍営の上方に気がなければ、これを「死兵」と名づけ、それを攻撃すれば必ず大勝する。両方がまさに交戦せんとするとき、相手の軍気を見て、氤氳として弥漫し燃えているようで、活人の軍の生ずる炊煙のようであれば、相手は初め必ず精鋭で当たり難く、その気が散ずるを待ってから攻撃すれば、必ず勝つ。相手の気が黒く、出てくることが山のようで、黄色を帯びていれば、これは「謝気」で、敵人は自ら降伏する。
敗軍気
軍敗之氣,如群鳥亂飛,疾伐之,必大勝;氣乍明乍暗,皆有詐謀;氣過旬不散,城有大輔,疾去之,勿攻;凡敵上氣,如雙蛇、飛鳥、如缺垣、如壞屋、如人無頭、如驚獐、如走鹿相逐、如雞相向,皆為敗軍殺將之氣;敵上氣如困倉正白,見日益明者,將士猛銳,不可擊之;敵上氣黑,中有赤氣在前,精悍不可當;敵上氣如轉蓬者,擊之立破。
軍隊の敗亡の気は群れの鳥が乱れ飛ぶようで、急いでそれを討伐すれば、必ず大勝する。気が忽ち明るく忽ち暗ければ、皆、相手に別途欺詐の図謀があることを説明する。気が旬日を過ぎても散らなければ、その城は強大な扶助があることを説明し、速やかに退き去り、進攻してはいけない。およそ敵営の上方の気が、形が二条の蛇のよう、飛鳥のよう、欠けた牆垣のよう、崩れた房屋のよう、頭のない人のよう、驚いた獐のよう、奔り相逐う鹿のよう、二羽の鶏が相対して闘うようであれば、皆、軍隊が敗れ主将が殺される気である。敵営の上方の気が円い穀倉のようで純白、太陽を見ればますます明るければ、相手の将士は勇猛・精鋭で、それを攻めてはいけない。敵営の上方の気が黒く、中に赤気が前に居れば、相手は精悍で当たり難い。敵営の上方の気が風に転がる蓬草のようであれば、それを攻撃すれば立ちどころに破れる。
游兵気
遊兵氣,如彗雲掃除,或數百丈,萬萬無根本,敗軍之氣;如破車、如人無足無臂,若下,輕其將,妖怪並作,眾口相惑,當修德審令,繕礪鋒甲,勒誠誓士,以避天怒,然後復擇吉日,祭牙旗,具太牢之饌,震鼓鐸之音,誠心啟請,以備天問,觀其祥應矣。若人馬喜躍,旌旗皆前指,金鐸之聲揚以清,鞞鼓之音宛以鳴,此得神明之助持,以安眾心。乃可用矣。
游動する兵の気は彗星の長い尾が天空を掃うようで、あるものは数百丈に達し、浩浩茫茫として根柢がなく、これは敗軍の気である。気の形が破れた車のよう、足も腕もない人のようで、もしまた低く垂れ下がれば、士卒が自分の主将を軽慢し、妖異・怪事がいっしょに発生し、衆人が紛々と議論し互いに惑うことを示す。この時は徳を修め、号令を審定し、兵刃・甲冑を繕い磨き、士卒に誠信を申し明かし誓って約束し、もって天の震怒を避けるべきである。そして後また吉日を選択し、主将の牙旗を祭祀し、牛羊豕の三牲の揃った太牢の饌を備え、鼓鐸の音を震い響かせ、誠心をもって祷告して命を請い、天の垂問を待って、それのどんな祥応を示すかを観る。もし人馬が歓び踊り、旌旗が皆前方を指し、金鐸の声が揚がりて清く、鞞鼓の音が宛轉として鳴れば、これは神明の扶助・保持を得て、衆人の心を安んずることができる。こうして初めて兵を用いることができる。
開元占経巻九十九
山崩
《尚書中候》曰:“山崩水潰,納小人。”《運斗樞》曰:“山崩者,大夫排主,陽毀失基。”《考異郵》曰:“山者,君之位也,崩毀者,陽失制度,為臣所犯毀。”《春秋緯保乾圖》曰:“山崩,道散。”又曰:“山崩,修北斗七政之事,輔豪傑除惡之毒。”董仲舒《對災異》曰:“山者,陰類,崩者,忠貞離,叛臣蔽主之善,使恩澤不流,怒恚壅隔,民人乖散之象也。任賢良,使忠貞,以救之。”《地鏡》曰:“山崩,人君位消、政暴,不出三年,有兵奪之。”
《尚書中候》はいう:「山が崩れ水が潰決するのは、君主が小人を容れ入れた応験である。」《運斗枢》はいう:「山崩は、大夫が君主を排し、陽に属する側が毀壊して根基を失ったのである。」《考異郵》はいう:「山は君主の地位を象徴し、崩毀は陽に属する君主が法度を失い、臣下に侵犯・毀損されたことを示す。」《春秋緯保乾図》はいう:「山崩は、治国の道が涣散したのである。」またいう:「山崩に遭えば、北斗の主する日月五星・七政の事を整飭し、豪傑を扶助して奸悪の毒害を除去すべきである。」董仲舒の《対災異》はいう:「山は陰の類に属し、崩塌は、忠貞の士が離散し、叛臣が君主の善政を遮蔽して、恩沢が下に流れず、怨怒・憤恨が壅塞・隔絶し、これは百姓が心を離れ散乱する徴象である。補救の法は賢良を任用し、忠貞の人を起用することである。」《地鏡》はいう:「山崩は、君主の権位が消損し、政令が暴虐であることを主り、三年を出ずして、兵事が来てその権位を奪う。」
京房《易傳》曰:“山崩,陰棄陽,弱勝強,天壁亡。”又曰:“國山崩,君爭政,女戚五年敗。”又曰:“邑山崩,邑有戰,主亡,或大水。”京房《對災異》曰:“山者,三公之位,臺輔之德也。乃興雲出雨,漫溉萬物,助天成功。今崩去者,此謂大臣懷叛不忠也。”《地鏡》曰:“山春崩,國有伐城;夏崩,天下有水,國主亡;秋崩,有大兵;冬崩,年中大飢。”
京房の《易伝》はいう:「山崩は、陰が陽を棄て、弱が強を圧倒し、天然の屏障が亡失しようとしているのである。」またいう:「国都の近くの山が崩れれば、君臣が政柄を争い、外戚・女寵が五年以内に敗亡することを主る。」またいう:「城邑の近くの山が崩れれば、その城邑に戦事があり、城主が死亡し、あるいは大水が発生する。」京房の《対災異》はいう:「山は三公の位次・台輔の大臣の徳を象徴する。それは雲を興し雨を出し、あまねく万物を溉灌して、天が功業を成すのを助ける。いま崩壊して去るのは、これは大臣が叛意を懐き忠でないと謂うのである。」《地鏡》はいう:「山が春に崩れれば、国の中に城を攻める戦事がある。夏に崩れれば、天下に大水があり、国君が死亡する。秋に崩れれば、大きな兵事がある。冬に崩れれば、一年のうちに大きな飢饉がある。」
京房《易妖占》曰:“山以春崩,亡邑,有拔城;以秋崩,人主惡之;以夏崩,人主有亡,天下大水;以冬崩,多飢,兵興。”又曰:“山崩絕,輔臣去。”又曰:“山以二月崩,其邑戰;以八月崩,有兵;以十一月崩,此降民從而行。”《河圖秘徵篇》曰:“侯恣權則邑土崩。”《春秋經》:“魯僖公十四年,沙麓崩,卜偃曰:將有大咎。幾亡國。”《穀梁傳》曰:“林屬於山,曰麓。沙,其名也。”《公羊傳》曰:“沙麓,河上邑也。”
京房の《易妖占》はいう:「山が春に崩れれば、城邑を喪失し、城池が攻め拔かれる。秋に崩れれば、君主はこの徴兆を悪む。夏に崩れれば、君主に死亡の危があり、天下に大水が発する。冬に崩れれば、飢饉が多く、兵事が起こる。」またいう:「山が崩れて断絶すれば、輔政の大臣が去る。」またいう:「山が二月に崩れれば、その城邑に戦事がある。八月に崩れれば、兵事がある。十一月に崩れれば、これは百姓が他に帰降して随って遷徙するのである。」《河図秘征篇》はいう:「諸侯が放恣に権を専らにすれば、封邑の土地は崩壊する。」《春秋経》に記す:「魯の僖公十四年、沙麓が崩れ、晋の太卜・卜偃はいう:大きな災咎があろう、ほとんど国を亡ぼさんとする。」《穀梁伝》は解していう:「樹林が山に連なるのを麓という。沙は、この山麓の名称である。」《公羊伝》はいう:「沙麓は、黄河の辺の一つの城邑である。」
班固《天文志》曰:“沙麓者,地沙山名也。震而麓崩,不書震,舉重者也。”杜預曰:“沙麓,山名也。陽平元城縣東有沙麓山。”劉向《洪範傳》曰:“崩者,陷而下也。麓在山下,平地臣象,陰位也。崩者,散落,皆叛不事上之類也。夫山者,君之表也;麓者,臣之象也。故沙麓崩,臣將叛也。沙麓卑地,無崩頹而崩,其異甚矣。”
班固の《漢書・天文志》はいう:「沙麓とは、その地の一座の沙山の名である。地震して山麓が崩れたのに、《春秋》は崩のみ記して震を記さないのは、その中の分量の重い者を挙げて記したのである。」杜預はいう:「沙麓は山名である。陽平郡元城県の東に沙麓山がある。」劉向の《洪範伝》はいう:「崩とは、陥落して下ることである。麓は山の下にあり、平地に属し、臣子の象徴で、陰に属する位次に処する。崩とは、散落することで、皆、叛離して君上に事奉しようとしない類に属する。それ山は君主の標志、麓は臣子の象徴だから、沙麓が崩れれば、臣子がまさに叛乱しようとしているのである。沙麓はもとより低平の地で、崩塌・傾頽すべき形勢がないのに崩れたのだから、この変異はことさら甚だしい。」
《春秋》:“魯成公五年,梁山崩。”《穀梁傳》曰:“壅河,三日不流,晉君率群臣素服而哭之,河乃流。”《左傳》曰:“晉侯以傳召伯宗,伯宗闢重曰:‘闢傳。’重人曰:‘待我,不如捷之速也。’問其所,曰:‘絳人也。’問絳事焉,曰:‘梁山崩,將召伯宗謀之。’問將若之何,曰:‘山有朽壞而崩,可若何?國主山川,故山崩川竭,君為之不舉,降服、乘縵、撤樂、出次、祝幣,史辭以禮焉,其如此而已。雖伯宗若之何?”伯宗請見之,不可,遂以告而從之。”
《春秋》に記す:「魯の成公五年、梁山が崩れた。」《穀梁伝》はいう:「崩れた土石が黄河を壅塞し、三日河水が流れず、晋の国君は群臣を率いて素服を着てそのために痛哭し、河水は乃ちまた流通した。」《左伝》に記す:晋侯は駅車をもって大夫の伯宗を召して入見させ、伯宗は路上で積載の車に避けさせ、「駅車に道を譲れ」と喝した。重車を赶る者はいう:「私が退くのを待つよりは、あなたが傍から近道を行く方が速い。」伯宗は彼がどこの人か問い、答えていう:「絳都の人である。」伯宗はすなわち絳都に何事かあるか問い、その人はいう:「梁山が崩れ、国君は伯宗を召して対策を商議しようとしている。」伯宗はまたどうするつもりか問い、その人はいう:「山はもとより朽壊して崩塌することがあり、どうしようか。国家は山川を主とするから、山崩・川竭の時は、国君はそのために盛饌を撤し、服飾を降損し、文飾を加えない車に乗り、音楽を撤除し、正寝を離れ別の所に居し、幣帛を陳して祭祀し、太史に礼に拠って辞を致させる。かくのごとくのみである。伯宗を召しても、どうなろうか。」伯宗は彼に晋侯に見えよと請うも、その人は肯んぜず、伯宗はすなわちこの一話を報告し、晋侯はそれに照らして行った。
《洪範傳》曰:“山者,陽之位,君之象也;水者,陰之表也,民之類也;崩者,壞沮也;壅者,不得其所也。天若語曰:人君權威重,將崩壞不治,百姓將不得其所也。至於以喪禮泣之,縞素哭泣,然後流,喪亡之象也。”劉歆曰:“梁山,晉望也。古者三代命祀,祭不越望,吉凶禍福不是過也。國主山川,山崩川竭,亡之征也。”“漢文帝元年,齊楚之山二十九,同日俱大發水大潰。”《洪範傳》曰:“山者,君之象,一曰:諸侯位也;水者,陰之類。言眾盛強,沮潰敗君之效也;一曰:諸侯沮,俱自壞敗也。”
《洪範伝》はいう:「山は陽に属する位次に処し、君主の象徴である。水は陰の外なる表れで、百姓の類に属する。崩とは、壊損・沮喪である。壅とは、それぞれその所に安んずることができないことである。天はあたかも告げていうようだ:君主の権威が重すぎ、まさに崩壊して收拾することができず、百姓はまさにそれぞれその所を得られなくなろうとしている、と。喪礼をもってそれを哭祭し、白色の喪服を着て哭泣し、その後に河水が流通するに至ったのは、これは喪亡の象徴である。」劉歆はいう:「梁山は晋が祭望する名山である。古は夏・商・周の三代が祀典を定め、祭祀は本国の境内の名山大川を越えず、吉凶・禍福もこの範囲を出ない。国家は山川を主とし、山崩・川竭は亡国の徴兆である。」また記す:「漢の文帝元年、斉の地・楚の地の二十九座の山が、同日にことごとく大いに洪水を発し山体が大潰した。」《洪範伝》はいう:「山は君主の象徴で、別の説では諸侯の位次である。水は陰の類に属する。これは衆庶の勢力が盛強で、君主を冲き潰し敗る応験を謂う。別の説では諸侯が潰敗し、皆みずから壊敗・敗亡するのである。」
《東方朔別傳》載:“漢孝武帝時,未央宮前殿鍾無故自鳴,三日三夜不止,於是帝召太史待詔方朔問之,曰:‘恐有兵氣。’帝更問於東方朔曰:‘夫銅者,土之子;土者,銅之母。以陰陽氣類言之,子母相感動,山恐有崩墮者,是以鍾先為之鳴。故《易》曰:鳴鶴在陰,其子和之。精之至也。’帝曰:‘應在幾日?’朔曰:‘在後五日內。’居三日,南郡太守上書言山崩,丞相以聞,帝曰:‘善。’賜朔帛三十匹。”《考異郵》曰:“山之亡,主沉溺。”
《東方朔別伝》に記す:漢の武帝の時、未央宮前殿の大鐘が故なく自ら鳴り響き、三日三夜止まなかった。武帝は太史待詔を召して問い、答えていう:「おそらく兵事の気があります。」武帝はまた転じて東方朔に問い、東方朔はいう:「銅は土の生む子で、土は銅の母です。陰陽の同類相感について言えば、子と母の間は互いに感動し、山に大概崩塌・墜落するものがあるから、鐘が先にそのために鳴るのです。故に《周易》中孚卦九二爻辞に『鳴鶴在陰、其子和之』といい、精誠の感応が極まったことを講ずるのです。」武帝は問う:「応験は几日以内か。」東方朔はいう:「この後五日以内です。」三日を居て、南郡太守が上山崩を報じ、丞相が奏報し、武帝はいう:「善い。」東方朔に絹帛三十匹を賞賜した。《考異郵》はいう:「山の崩毁・消失は、君主の沈淪・覆没を主る。」
山移動 山亡 山鳴 山出光 山石生血
《地鏡》曰:“山徙,是謂德重,直臣去,佞人用,政在女主,不出五年,有走王。”又曰:“山無故自徙,天下兵,社稷亡。”又曰:“山徙,是謂非分,不出三年,四方兵起。”又曰:“山石忽自動,及相拘累,及大小移轉,或溼或血,為天下兵亂。”《地鏡》曰:“山無故亡,人君失位。”《地鏡》曰:“山無故晝夜有聲如哭,天下兵喪。”《春秋潛潭巴》曰:“山有長光,臣下不良。”《地鏡》曰:“山有長光,臣不祥。”《地鏡》曰:“石忽生赤如血,諸侯不助時,父子絕。”
《地鏡》はいう:「山が位置を移動するのは、これを『徳重』と謂い、正直な臣子が去り、奸佞の人が任用され、政権が女主の手に落ち、五年を出ずして、出奔・逃亡する君王があることを主る。」またいう:「山が故なく自ら遷移すれば、天下に兵事があり、社稷が亡びる。」またいう:「山が遷移するのは、これを『非分』と謂い、三年を出ずして、四方が皆兵を起こす。」またいう:「山石が忽然として自ら移動し、あるいは互いに牽連して堆積し、あるいは大小に位置を転換し、石上が或は湿潤し或は血色を滲ませるのは、皆、天下の兵乱を主る。」《地鏡》はいう:「山が故なく消失すれば、君主は君位を失う。」《地鏡》はいう:「山が故なく昼夜、哭泣のような声を発すれば、天下に兵災・喪乱がある。」《春秋潜潭巴》はいう:「山の上に長い光が現れれば、臣下が善良でないことを主る。」《地鏡》はいう:「山の上に長い光が現れれば、臣子に不祥の事があることを主る。」《地鏡》はいう:「石が忽然として血のような赤色を生じれば、諸侯が時に助けようとせず、父子の間の恩義が断絶することを主る。」
山石変化 石生水中
《地鏡》曰:“山中見異類物,非人所常見者,各有形名音聲,皆為其邑大水,或飢,兵革行,邑亡。”又曰:“山忽化為人形,及六畜飛鳥形,皆天下虛。”又曰:“石化為人,君絕祠。”又曰:“石如人形,庶雄持政;如禽形,諸侯興兵誅行;形如飛鳥,外戚女主近臣謀反。”又曰:“山忽生於石上,邑出主;石生正方,三公外謀,不出三年,逆兵起。”又曰:“石生重累,不出五年,相謀逆且成。”
《地鏡》はいう:「山の中に異類の怪物が現れ、人々が平常見ることのできるものでなく、各々の形状・名目と鳴き声を持つものは、皆、その城邑に大水が発し、あるいは飢饉が起こり、兵戈が興り、城邑が滅亡することを主る。」またいう:「山が忽然として人の形に変じ、および六畜・飛鳥の形に変ずれば、皆、天下の空虚を主る。」またいう:「石が人形に変ずれば、君主の宗廟の祭祀が断絶することを主る。」またいう:「石が人形に似れば、平民の中の豪強が政権を把持することを主る。禽鳥の形に似れば、諸侯が兵を起こして討伐することを主る。形が飛鳥のようであれば、外戚・女主と近臣が反を謀ることを主る。」またいう:「山が忽然として石の上から生え出れば、その城邑に君主が出る。石が方正の形に長なれば、三公が外で図謀し、三年を出ずして、叛乱の兵事が発生する。」またいう:「石が重々畳々と生長すれば、五年を出ずして、宰輔が逆を謀る事が成り遂げられようとする。」
又曰:“石生,往往如聚,不出五年,兵謀行。”地鏡曰:“石生水中,上見者,近相謀逆,與女主連,不出八年,兵行。”
またいう:「石が生長して出るのが、往々堆り聚まったようであれば、五年を出ずして、用兵の図謀が施行される。」《地鏡》はいう:「石が水中に生じて水面に露出し見えるものは、近臣が互いに叛逆を図謀し、しかも女主と相勾連し、八年を出ずして、兵を動かすことを主る。」
石生廟邑 冢自声音 冢自移併陥与冢樹自死
《地鏡》曰:“石生於都邑,人君去故就新,不出三年,易政。”又曰:“石生於宗廟中,人君不行先王法度,不出三年,易主。”又曰:“石生而隕墜,雄烈敗。”《地鏡》曰:“冢自音聲,天下大兵起。”《地鏡》曰:“冢自動,天下分破。”又曰:“冢自陷,天下移。”又曰:“冢樹自死,天下易主。”
《地鏡》はいう:「石が都邑の中に生じれば、君主が旧を捨て新に就くことを主り、三年を出ずして、政権が更易する。」またいう:「石が宗廟の中に生じれば、君主が先王の法度を遵行しないことを主り、三年を出ずして、君主が更換する。」またいう:「石が生じてまた隕墜すれば、豪雄・剛烈の人が敗亡することを主る。」《地鏡》はいう:「墳冢が自ら声を発すれば、天下に大きな兵事が起こる。」《地鏡》はいう:「墳冢が自ら移動すれば、天下が分裂・破碎する。」またいう:「墳冢が自ら陥没すれば、天下が改朝换代する。」またいう:「墳上の樹が自ら枯死すれば、天下が君主を更換する。」
光
《河圖》曰:“聖人起,昌光見。”《漢書郊祀志》曰:“武帝封禪,夜有光,晝有白雲,起封中。”《元命苞》曰:“有瑤光貫月,感女樞,生顓頊。女樞見此而意感也。”《河圖》曰:“瑤光如虹貫月,正白,感女樞,出房之宮,生帝顓頊。”《漢武帝禪儀》曰:“天封之禪,晝有白氣,夜有赤光。”《漢書郊祀志》曰:“武帝幸汾陰,汾陰男子公孫傍洋等見汾陰傍有光如繹,上遂立后土祠於汾陰。”又:“郊太一祠,上有光。封禪太山,其夜有光。”又曰:“宣帝祀世宗廟,神光興於殿旁,神光又興於房中,如燭狀。廣川國世宗廟殿上有鍾音,房大開,夜有光,殿上晝明。”
《河図》はいう:「聖人が興起する時、昌盛の光が顕現する。」《漢書・郊祀志》に記す:「漢の武帝が封禅を行った時、夜に光があり、昼に白雲があり、皆封壇の中から立ち起こった。」《元命苞》はいう:「北斗の瑶光星の光が月を貫き、女枢を感応させ、顓頊を生ませた。女枢はすなわちこの光を見て心に感じたのである。」《河図》はいう:「瑶光星の光が虹のように月を貫き、純白で、女枢を感応させ、房宿の主する宮から出て、顓頊帝を生ませた。」《漢武帝禅儀》はいう:「天を封ずる禅礼を行う時、昼に白気があり、夜に赤光があった。」《漢書・郊祀志》に記す:「武帝は汾陰に臨幸し、汾陰の人・公孫傍洋らが汾陰の傍に抽き出した糸のような光があるのを見て、武帝はここに汾陰に後土祠を立てた。」また記す:「郊で太一祠を祭祀する時、上に光があった。泰山に封禅する時、その夜にも光があった。」またいう:「漢の宣帝が世宗廟を祭祀した時、神光が殿の傍から起こり、また室の中から起こり、燭火の形のようであった。広川国の世宗廟の殿上に鐘の音があり、房の門が大いに開き、夜に光があり、殿上は昼のように明るかった。」
《東觀漢記》曰:“安帝私在郡第,數有神光照耀室內。”又曰:“李軼等語讖曰:言劉氏當復起,李氏為輔。遂市兵弩、絳衣、赤幘,歸舊廬,望見廬南有若火光,以為人持火,呼之,光遂熾,曈曈赫然,上屬天,有頃不見,異之。”張勃《吳錄》曰:“武烈皇帝,姓孫氏,名堅,字文臺,吳郡富春人。漢季世,墓上數有光雲五色,上燭天。”
《東観漢記》に記す:「漢の安帝がまだ藩国の私第に住んでいた時、しばしば神光が室内を照耀した。」また記す:「李軼らが谶語を伝えていう:劉氏はまさに再び興り、李氏はその輔佐となる、と。ここにおいて兵器・弓弩・絳色の衣服と赤色の頭巾を買い、旧屋に帰り、遥かに屋南に火光のようなものがあるのを望見し、人が火把を挙げていると思い、声を出して呼ぶと、その光はかえってますます熾盛になり、明るく赫然として人を照らし、上って一直線に天に連なり、しばらくして見えなくなり、衆人は皆奇異に思った。」張勃の《呉録》に記す:「武烈皇帝は孫の姓で名は堅、字は文台、呉郡富春の人である。漢の末世、彼の家の墓の上にしばしば五色の光雲が現れ、上って天空を照らした。」
《天源記》曰:“武王呂光子世明王,以石氏建武四年夜,有光曜舉舍,異之,名曰光。”《異苑》曰:“孫堅喪父,行葬地,忽有一人曰:‘君欲為百世諸侯,欲為四世帝乎?’曰:‘欲為帝。’此人因揭一處而沒,既葵,冢上常有怪。”《抱朴子》曰:“有赤光如火從天來下入,軍亂,將死。”郗萌曰:“有光如日月見虛,為男子之祥。”又曰:“有光如蛟龍見宮室,為女子之祥。”《後秦記》曰:“姚襄將與符廣眉戰,謂將軍王欽盧曰:‘吾數行,常有異光引吾前,狀如導驅,數日,忽復不見,意惡之,此何祥也?’欽盧不對,即與眉戰,死於陳。”
《天源記》に記す:「武王・呂光の子の世明王は、石氏・後趙の建武四年の夜に、光が屋舎全体を曜ったので、家人は奇異に思い、彼に光と名づけた。」《異苑》に記す:「孫堅は父が死に、埋葬の地を察しに行くと、忽然として一人の人が彼にいう:『あなたは百世の諸侯になりたいか、それとも四世の皇帝になりたいか。』孫堅はいう:『皇帝になりたい。』この人はすなわち一箇所を指し示して見えなくなった。安葬した後、墳の上に常に怪異が現れた。」《抱朴子》はいう:「赤光が火のように天から降って軍中に入れば、軍中が大いに乱れ、主将が死亡することを主る。」郗萌はいう:「光が日月のように虚宿に現れれば、男の子が生まれる吉兆である。」またいう:「光が蛟龍のように宮室に現れれば、女の子が生まれる吉兆である。」《後秦記》に記す:「姚襄がまさに苻広眉と交戦せんとして、将軍の王欽盧にいう:『わたしはたびたび出行するに、常に異光がわたしの前を導き、様子は前方で導引・駆馳するようであるが、この数日、忽然としてまた見えなくなった。心に好ましくなく思うが、これはどんな徴兆か。』王欽盧は答えなかった。即座に広眉と交戦し、姚襄は陣中で死んだ。」
開元占経巻一百
醴泉 河出
《瑞應圖》曰:“醴泉者,水之精也。王者得地理則出,有仙人以爵酌之。”《運斗樞》曰:“旋星得則醴泉出。”《地鏡》曰:“河徙,是謂陰反,不出五年,有叛臣,兵行,民流亡。河徙一里至三里,是謂失政,且有謀臣;河徙至五里、十里,女主執政,外戚有背叛;河徙十里已上,人君失道,政在下臣。流水忽易道,君易賢。”
《瑞応図》はいう:「醴泉は水の精華である。君王の治理が地理に合致すれば、醴泉は湧き出し、また仙人が酒爵をもってそれを酌み取る。」《運斗枢》はいう:「北斗第二星・旋星の運行が当を得れば、醴泉が湧き出る。」《地鏡》はいう:「黄河が道を改め遷移するのは、これを『陰反』と謂い、五年を出ずして、叛臣があり、兵事が起こり、百姓が流亡する。黄河が一里から三里の間遷移するのは、これを『失政』と謂い、図謀を懐く臣子があろう。黄河が五里・十里に遷移すれば、女主が朝政を執掌し、外戚の中に背叛する者があることを主る。黄河が十里以上に遷移すれば、君主が治道を失い、政権が下の臣子の手に落ちることを主る。流水が忽然として河道を改換すれば、君主が任用する賢臣を更換することを主る。」
水涌溢及竭
《地鏡》曰:“河盈溢,不出三年,國有憂;水忽自盈起,君凶,且大水。”《運斗樞》曰:“帝壯而奪勢,水決壞山。”注云:“壯年健時見奪勢,故水決壞山,言陰奸行,君危也。”《漢書》曰:“武帝建始二年,北宮井水溢出,王莽之征也。水流庭,霍氏遂亂。”王隱《晉書》曰:“大興元年,河水竭斷百餘步,兩頭深淺如故,中絕不流。”《後魏書》曰:“前廢帝普大元年,司徒府、大倉前井並溢,占曰:民遷流之象。永熙三年十月,都遷於鄴地。”
《地鏡》はいう:「黄河の水が満ちて漫溢すれば、三年を出ずして、国家に憂患がある。水が忽然として自ら漲り起これば、君主に凶事があり、しかも大水が発することを主る。」《運斗枢》はいう:「帝王が壮盛の年にあって権勢を奪われれば、水は冲決して山体を毀壊する。」その注文はいう:「壮年にして身が力強く健やかな時にかえって権を奪われるから、水が冲決して山を壊す。これは陰邪・奸悪の事が横行し、君主の処境が危険であることを謂う。」《漢書》に記す:「武帝の建始二年、北宮の井水が溢れ出た。これは王莽が権を簒う徴兆である。井水が庭に流れ込み、霍氏の一族が引き続き乱をなした。」王隠の《晋書》に記す:「東晋の大興元年、黄河の水が枯竭して百余歩断絶し、両頭は深浅が旧のごとく、中間は絶えて流れなかった。」《後魏書》に記す:「前廃帝の普泰元年、司徒府と太倉の前の井がいっしょに溢水し、占者はいう:これは百姓が遷徙・流亡する象徴である、と。永煕三年十月、都城は果たして鄴の地に遷った。」
《地鏡》曰:“井水流出地,若理絕者,臣驕猾,兵方起。”京房《易候》曰:“湧水無處,必流殺人七日,七年聖人滅。”《晉中興徵書祥說》曰:“咸安九年,濤水入石頭,殺人,俄而海西公廢。大元十三年十二月戊子,濤水入石頭,毀大船,沈殺人,己亥,江水湧起建康、秣陵,江淹,沒殺人,陰旺之應也。”崔鴻《十六國春秋北燕錄》曰:“龍城東溝竭涸積年,夏四月,溝中墳起,有聲,俄而泉湧出,閩尚曰:溝中墳起,所謂深谷為陵,泉湧出所謂百川沸騰,陰旺之所致也,國及家井自沸溢,君將亡覆之,期三十日,水忽自竭,邑虛,不吉。都邑中水無故自絕及易處者,邑人徙亡。”
《地鏡》はいう:「井水が地面に漫流し、もし水の紋理が断絶して連ならなければ、臣下が驕横・狡猾で、兵事がまさに起こらんとすることを主る。」京房の《易候》はいう:「大水が所なく乱れ湧けば、必ず泛流して人を淹れ殺し、七日以内に見え、七年以内に聖人が滅亡する。」《晋中興征書祥説》に記す:「咸安九年、潮水が石頭城に湧き入り、人を淹れ殺し、まもなく海西公が廃黜された。太元十三年十二月戊子の日、潮水が石頭城に湧き入り、大船を毀壊し、人を沈め殺した。己亥の日、江水が建康・秣陵一帯に湧き起こり、江水が漫溢し、人を没し殺した。これは皆、陰気が過旺な応験である。」崔鴻の《十六国春秋・北燕録》に記す:「竜城の東の溝が涸れて積年となり、夏の四月、溝の中の地面が隆起し、声響を発し、たちまち泉水が湧き出た。閔尚はいう:溝の中の地面が隆起するのは、いわゆる『深谷為陵』。泉水が湧き出るのは、いわゆる『百川沸騰』。皆、陰気の過旺が致す所である。国中と人家の井が自ら沸騰・漫溢すれば、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。水が忽然として自ら枯竭すれば、城邑が空虚になることを主り、不吉である。都邑の中の水が故なく自ら断絶しあるいは処所を改換するものは、邑の中の人が遷徙・逃亡することを主る。」
河壅
《地鏡》曰:“河大壅,下臣執政,或主大水色變,不出六年,易王,女主亡。”《漢書五行志》曰:“水,北方,終藏萬物者也,其於人道,命終而形藏,精神放越,聖人為宗廟,以收魂氣,春秋祭祀,以終孝道。若不敬鬼神,政令逆,則水失其性,百川逆溢,壞縣鄉邑,溺人民,及淫雨傷稼,是水不潤下。”《尚書大傳》曰:“簡宗廟,不禱祠,廢祭祀,逆天時,則水不潤下。”
《地鏡》はいう:「黄河が大規模に壅塞すれば、下の臣子が朝政を把持することを主り、あるいは大水を発して水色が変異することを主り、六年を出ずして、君王を更換し、女主が敗亡する。」《漢書・五行志》はいう:「水は北方に属し、万物を終えて蔵する者である。人事の道について言えば、人の性命が終結して形体が土中に蔵され、精神は放れて散逸し、聖人はこのために宗廟を建立して魂気を収聚し、春秋の二季に祭祀して、これをもって孝道を終え尽くす。もし鬼神を敬奉せず、政令が乖逆ならば、水はその本性を失い、百川が逆行・漫溢し、県・郷・城邑を冲壊し、百姓を溺れさせ、加えて久雨が稼を傷つける。これが『水不潤下』である。」《尚書大伝》はいう:「宗廟を怠慢し、祷告・祠祭せず、祭祀を廃棄し、天時に背けば、『水不潤下』が現れる。」
《潛潭巴》曰:“河水逆流,怨氣甚。”《地鏡》曰:“水逆流,是謂道逆,不出二年,兵從女主起。”《國語》曰:“靈王二十年,谷、洛二水斗,毀王宮。”又曰:“水忽不流,婦人惑,政亂令廢,不出五年,亡國;水一年不流,有反臣。”《漢五行志》曰:“谷、洛斗,劉向以謂近火、沴水,以《傳》推之,四瀆比諸侯,洛其次,卿大夫象,卿大夫將分爭,以危王室也。”《地鏡》曰:“流水忽停,天下飢;停水流,天下兵。”《續漢書》曰:“桓帝永興二年,彭城泗水增長逆流,永壽元年六月,洛水溢至津,城門流物,是時皇后兄冀秉政,疾忠直,後遂誅滅。”
《潜潭巴》はいう:「河水が倒流すれば、民間の怨気が極めて重いことを主る。」《地鏡》はいう:「水が逆らって流れるのは、これを『道逆』と謂い、二年を出ずして、兵事が女主の所から挑まれる。」《国語》に記す:「周の霊王二十年、穀水・洛水の二つの水が相冲激し、王宮を毀壊した。」またいう:「水が忽然として止まって流れなければ、婦人が惑乱し、政事が紛乱して号令が廃弛し、五年を出ずして、国家が滅亡する。水が一年流れなければ、反叛の臣子があろう。」《漢書・五行志》はいう:「穀水・洛水が相冲激したことについて、劉向はこれが火気に近く水気を沴したと認め、《洪範伝》に拠って推せば、四瀆を諸侯に比し、洛水は次いで一等、卿大夫の象徴で、卿大夫がまさに分裂し争って、もって王室を危くすることを主る。」《地鏡》はいう:「流動する水が忽然として止まれば、天下に飢饉が起こる。もとより止まっていた水が忽然として流れれば、天下に兵事がある。」《続漢書》に記す:「漢の桓帝永興二年、彭城の泗水が暴漲して倒流した。永寿元年六月、洛水が漫溢して渡口に至り、城門口に雑物が漂った。この時、皇后の兄・梁冀が朝政を執掌し、忠直の士を憎み、後にとうとう誅滅された。」
水赤
京房《易候》曰:“宮水化為血,七月,七年,聖人滅。”《古今注》曰:“安帝延平六年,河東水化為血。”《異苑》曰:“勃勃虜都長安,端門外井人常宿汲停水壅,中夜砰磕有聲,視水如血,中有丹魚,長三尺而有赤光,國尋滅。”京房《易候》曰:“水自赤,光如血,其國有流血。”《地鏡》曰:“水赤如血,邑有流血。”《晉朝雜事》曰:“元康六年,彭城泗水赤如血。”
京房の《易候》はいう:「宮中の水が血に変ずれば、七箇月以内に応験し、七年以内に聖人が滅亡する。」《古今注》に記す:「漢の安帝延平六年、河東の水が血に変わった。」《異苑》に記す:「赫連勃勃が長安を占拠して都とした時、端門外の人々が常に水を汲みに来る井が、水を壅積して流れず、夜半に砰然として音が響き、その水を見れば血のようで、中に一条の赤い魚がおり、長さ三尺にして赤光を発し、その政権はまもなく滅亡した。」京房の《易候》はいう:「水が自ら赤く変じ、光色が血のようであれば、その国家に流血の事があろう。」《地鏡》はいう:「水が血のように赤ければ、その城邑に流血の禍があろう。」《晋朝雑事》に記す:「元康六年、彭城の泗水が血のように赤かった。」
京氏《對災異》曰:“河水赤者,獄有冤恨,誅殺不當,則致河水赤也。其救也,正獄刑,解疑罪。”京房《易傳》曰:“君湎於酒,淫於色,賢人潛,國家危,厥異流水赤。”《漢五行志》曰:“秦武王三年,渭水赤。”《漢書》曰:“廣陵王胥宮中池水變,魚死,王為事誅。”《後魏書》曰:“太祖登國中,河南有虎七,臥於河側,三日及去,後一年,蚍蜉白鹿盡渡河北,後一年,河水赤如血,此衛辰滅亡之應,及誅其族類,悉投之河,其地遂空。”《地鏡》曰:“井水赤,邑虛,相攻,主亡。”
京氏の《対災異》はいう:「河水が赤く変ずるのは、獄訟の中に冤屈・怨恨があり、誅殺が当を得ないから、河水の赤変を招いたのである。その補救は、獄訟・刑罰を端正し、疑罪に対しては放免を行うことである。」京房の《易伝》はいう:「君主が酒に沈湎し、女色に荒淫すれば、賢人は隠退し、国家は危険になり、その変異は流水が赤くなることである。」《漢書・五行志》に記す:「秦の武王三年、渭水が赤くなった。」《漢書》に記す:「広陵王・劉胥の宮中の池水が変色し、魚が皆死に、後に劉胥は事によって罪を獲て誅された。」《後魏書》に記す:「北魏の太祖登国年間、黄河の南岸に七匹の虎が河辺に臥し、三日を過ぎてから去った。一年の後、蚍蜉と白鹿が皆黄河の北に渡った。さらに一年の後、河水が血のように赤くなった。これは衛辰が滅亡する応験で、彼の族人を誅殺し、死体を皆黄河に投げ込むに及んで、その土地はすなわち人烟なく空しくなった。」《地鏡》はいう:「井水が赤く変ずれば、城邑が空虚になり、互いに攻伐し、城主が死亡することを主る。」
水黄濁 水清 水無魚 水自臭
《地鏡》曰:“君井若黃濁,政令不明;清水忽自濁,天下將死;國及家井濁,皆君主將亡覆之,期三十日。”《易乾鑿度》曰:“孔子曰:天之將降喜,應河水清三日。清變白,白變赤,赤變黑,黑變黃,各三日,河水安,天下乃清。”《續漢書》曰:“延熹九年,濟陰東郡、濟北平原,河水清,襄揩上言:河者,諸侯之象;清者,陽明之徵。豈諸侯有窺京都計邪?其明年,桓帝晏駕,徵解漬亭侯為漢嗣,是為孝靈皇帝。”《地鏡曰》:“澤泉水無魚,天王無居。”《地鏡》曰:“國及家井臭,君將亡覆之,期三十日。”《吳志》曰:“諸葛恪將誅,盥漱,聞水腥臭,侍者授衣,衣服亦自夭。恪怪其故,易衣,易水,其臭如初。”
《地鏡》はいう:「君主の宮中の井水がもし黄濁ならば、政令が清明でないことを主る。清水が忽然として自ら濁れば、天下に死喪があろうことを主る。国中と人家の井水が濁れば、皆、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。」《易乾鑿度》はいう:「孔子がいう:天がまさに喜び慶びを降さんとすれば、黄河の水が三日清いことに応験として現れる。清から白に変じ、白から赤に変じ、赤から黒に変じ、黒から黄に変じ、各三日で、河水が安定すれば、天下は乃ち清平となる。」《続漢書》に記す:「漢の桓帝延熹九年、済陰・東郡と済北・平原の一帯で黄河の水が清かった。襄楷は上書していう:黄河は諸侯の象徴で、水清は陽気が昌明の徴兆です。まさか諸侯に京城を窺い伺う図謀でもあるのではありませんか、と。第二年、桓帝は晏駕し、朝廷は解涙亭侯を征召して漢室を継がせ、これが孝霊皇帝である。」《地鏡》はいう:「湖沢・泉水の中に魚がなければ、天子に安んじ居る所がないことを主る。」《地鏡》はいう:「国中と人家の井水が臭ければ、君主がまさに覆亡しようとしていることを主り、期限は三十日である。」《呉志》に記す:「諸葛恪がまさに誅殺されようとする時、顔を洗い口を漱ぐと、水に腥臭い匂いがあるのを嗅いだ。侍者が衣服を捧げると、衣服も自ら臭気を放った。諸葛恪はその故を怪しみ、衣服を換え、水を換えても、その臭気は先前と同じであった。」
水出高山 水出朝市 水沸
《禮記威儀》曰:“君乘土而王,其政太平,則蒙水出於山。”京房《易候》曰:“水無故高山上出,邑亡,起兵。”《地鏡》曰:“山石崖有水出,主有謀不成;水忽自出山上,兵且作。”《地鏡》曰:“水忽出於朝市,兵且作。”京房《易候》曰:“水無故市中出,邑兵大作。”
《礼記威儀》はいう:「君主が土徳を承けて王と称し、その政事が太平に達すれば、蒙水が山の中から流れ出る。」京房の《易候》はいう:「水が故なく高山の上から現れ出れば、城邑が滅亡し、兵事が興起することを主る。」《地鏡》はいう:「山間の石崖に水が流出すれば、人に図謀があって事成らないことを主る。水が忽然として自ら山の上から流出すれば、兵事がまさに発生せんとすることを主る。」《地鏡》はいう:「水が忽然として朝廷あるいは市集から現れ出れば、兵事がまさに発生せんとすることを主る。」京房の《易候》はいう:「水が故なく市の中から現れ出れば、城邑に兵戈が大いに起こることを主る。」
《地鏡》曰:“君井湧沸,宗廟失墮。”單子曰:“夏桀德衰,岱山泉沸。”京房《易候》曰:“泉水沸,此謂賤人將貴,王者不顧骨肉,不親九族,厥德已,泉湧沸。”京房《對災異》曰:“江河沸者,有聲無實,此為執政者懷奸不公,眾邪並聚,則致此災。不救,必有叛君謀其政也。令百官舉公直,選有德,置於政。井水沸者,謂人君好用讒邪所致也。”《崖頭易林》曰:“井水沸,不可安居。”
《地鏡》はいう:「君主の宮中の井水が翻り湧き沸騰すれば、宗廟が守りを失い傾頽することを主る。」単子はいう:「夏の桀は徳が衰頽し、泰山の泉水が沸騰した。」京房の《易候》はいう:「泉水が沸騰するのは、これは卑賤の人がまさに顕貴にならんとし、君王は骨肉を顧念せず、九族を親厚せず、彼の徳はここに尽きたから、泉水が湧沸するのである。」京房の《対災異》はいう:「江河が沸騰するのは、声勢はあるが実効がないことで、これは政を執る者が奸邪を懐き、事をなすに公平でなく、衆多の邪佞が集まり聚って、ようやくこの災異を招く。補救を加えなければ、必ず君主に背叛しその政権を謀る者がある。補救の法は百官に公正・正直の士を薦挙させ、徳ある者を選抜して、政務の位置に安置することである。井水が沸騰するのは、君主が讒佞・邪僻の人を任用するのを好むが故に致したことを謂う。」《崖頭易林》はいう:「井水が沸騰すれば、安んじ居ることができない。」
