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司危 其の十一

唐 · 瞿昙悉达 · 第87巻 / 119

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

《河圖》曰:“熒惑之精,流為司危。”《春秋合誠圖》曰:“白彗之氣,分為司危。司危,平非也,以為乖事之徵。”《春秋運斗樞》曰:“機星散為司危。”孟康曰:“司危星,大而有毛,兩角。”《荊州占》曰:“司危類太白,數動,察之,赤。”《洛書》曰:“司危出,強國盈。”《春秋緯潛潭巴》曰:“司危,主擊強侯兵也。”

《河図》に曰く:熒惑の精気は流散して「司危」という妖星と化する。《春秋合誠図》に曰く:白色の彗気は分化して司危を出す。「司危」の意味は是非を評断することで、これを事の乖違の徴兆とする。《春秋運斗枢》に曰く:北斗・天璣星の精気が散じて司危と化する。孟康に曰く:司危という星は形体が大きく、周囲に毛芒を帯び、また二つの角を生じている。《荊州占》に曰く:司危の様子は太白金星に似て、閃動は頻繁で、細かく見れば紅色である。《洛書》に曰く:司危が現れれば、強国の気勢はちょうど満ちている。《春秋緯・潜潭巴》に曰く:司危は強横の諸侯を攻撃する兵事を主管する。

《合誡圖》曰:“司危如太白有目,以為乖事之徵,見則主失法,期八年,豪傑起,天子以不義失國,有聲之臣行主德也。”(宋均曰:聲,名稱也。)《春秋緯考異郵》曰:“司危見,則其下國殘賊。”《天官書》曰:“司危星,出正西方之野,星去地可六七丈,而白類太白;一曰:見,兵起,強。”《天官書》曰:“司危出非其方,下有兵,沖不利。”《荊州占》曰:“司危出,則兵起,其下為喪。”

《合誠図》に曰く:司危は太白金星に似て眼のごとき形状を帯び、これを事の乖違の徴兆と見なす。それが一たび現れれば、君主が法度を喪失することを主り、応験期は八年で、豪傑の士は紛紛として興り、天子は行事の不義によって国家を失い、名望ある臣子が君主の徳政を代行する。(原書の小注:宋均に曰く、「声」とは名声・名望のことである。)《春秋緯・考異郵》に曰く:司危が現れれば、それの対応するその国は残害される。《史記・天官書》に曰く:司危星は正西方の原野の上に現れ、地を去ること約六七丈、色は白にして太白金星に似る。一説にそれが一たび現れれば兵を起こし、兵勢は強盛である。《天官書》はまた曰く:司危がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事があり、それと相冲する方は不利である。《荊州占》に曰く:司危が現れれば、兵を起こし、その下に喪事がある。

天攙 其の十二

《河圖》曰:“熒惑之精,流為天攙。”《春秋緯》曰:“歲星退如西北,三月生天挽。”郄萌曰:“星出,其狀白小數動,是謂攙星,一名斬星。”孫炎曰:“攙槍,妖星別名也。”(尸子曰:彗星為攙槍也。)《春秋緯潛潭巴》曰:“天攙主煞時。”甘氏曰:“天攙見,女主用事者,其本為主人。”甘氏曰:“天攙出西南,長數丈,左右銳,出而易處。”巫咸曰:“天攙出,其國內亂。”

《河図》に曰く:熒惑の精気は流散して「天攙」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:歳星が退行して西北に偏し、三ヶ月を過ぎて「天挽」を生ずる(ここの「挽」はすなわち上文の「攙」で、指す所はやはり天攙である)。郄萌に曰く:星が現れて、その形状は白くて細かく閃動は頻繁なは、これを攙星といい、また斬星とも名づける。孫炎に曰く:「攙槍」は妖星の別の呼称である。(原書の小注:《尸子》に曰く、彗星はすなわち攙槍である。)《春秋緯・潜潭巴》に曰く:天攙は粛殺の時を主管する。甘徳に曰く:天攙が現れれば、女主が臨朝して権を当ることを主る。もし見えるのが本位のあの一顆なら、本国の君主が自ら権を当ることを主る。甘徳はまた曰く:天攙は西南方に現れ、長さは数丈、左右の両端は皆鋭く、出現した後にはまた位置を移換する。巫咸に曰く:天攙が一たび出れば、その国は内乱がある。

京房曰:“天攙出,其下相攙,為亂、為兵,赤地千里,枯骨藉藉。”(按班固《天文志》曰:孝文後二年正月壬寅,天攙夕出西南,後匈奴入上郡雲中,漢其軍以衛京師也。)郄萌曰:“攙星出,即出,兵起,出於東方,國益,鄉皆然。”班固《天文志》曰:“天攙出,為兵喪。”《河圖》曰:“太陽之精,赤鳥七宿之域,有謀反,若悖心,為虐害,主失政者,期如占,皆以類名之也。”

京房に曰く:天攙が一たび現れれば、その下方の人々は互いに攙扶して奔逃し、動乱を主り兵禍を主り、赤地は千里に寸草も生えず、枯骨は地に狼藉する。(原書の小注:按するに班固《漢書・天文志》に曰く、漢の文帝・後元二年正月壬寅、天攙は夕方に西南方に現れた。後に匈奴は上郡・雲中に侵入し、漢は軍隊を出して京城を保衛した。)郄萌に曰く:攙星が一たび現れれば、すぐ応験し、兵事が興る。もし東方に現れれば、その国はかえって増益があり、郷ごと所ごとに皆このようである。班固《漢書・天文志》に曰く:天攙が現れれば、兵禍と喪事を主る。《河図》に曰く:これは太陽の精気の化する所で、南方の赤鳥七宿の天区に対応する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは悖逆の心を懐き暴虐を施行し、あるいは君主が政事を荒廃すれば、応験の期限は前の占法に依って推算し、これらの妖星は皆それぞれの類によって命名されたのである。

五残 其の十三

《河圖》曰:“五殘,主奔亡。”《河圖》曰:“填星之精,流為五殘。”《春秋運斗樞》曰:“旋星散為五殘。”《春秋合誠圖》曰:“蒼彗散為五殘,如辰星出角,陽失德,故生角。五殘者,五分也,故為殘毀敗之徵。”(宋均曰:五殘五分,彗一本而五枝也。)期九年,奸興,三九二十七,亂大不可禁。”

《河図》に曰く:五残は逃亡・奔散を主る。《河図》はまた曰く:土星(填星)の精気は流散して「五残」と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗・天璇星の精気が散じて五残と化する。《春秋合誠図》に曰く:青色の彗気が散じて五残と成り、それは水星(辰星)のごとく角芒を生ずる。これは陽気が徳を失うがゆえに、角を長じたのである。いわゆる「五残」とは、五枝に分かつる義で、これによって残毀・敗亡の徴兆とする。(原書の小注:宋均に曰く、五残すなわち五分とは、彗尾が一つの根本から五条の枝杈に分かれることをいう。)応験期は九年で、奸邪の事が興り、三九二十七年に至れば、動乱の大きさはもはや禁じ得ない。

《黃帝占》曰:“五殘者,五行之變,出於東方,名曰五殘,木之氣也。”宋均曰:“五殘,一曰五鋒。”巫咸曰:“五殘星,出正東方之野,星狀類辰星,可去地六七丈,大而白。”《春秋合誠圖》曰:“五殘主乖亡。”郄萌曰:“五殘,兵星也。”《黃帝占》曰:“東方有星,望之,去地可六丈,大而赤,察之,中青。(孟康曰:星表青氣如有暈也。)其類歲星,是謂東方之野星,名曰五殘,出則兵大起,其出也,下有喪;北出,則東方邦失地。”

《黄帝占》に曰く:五残は五行の気の変異の成す所で、東方に現れ、名は五残といい、木の気に属する。宋均に曰く:五残はまた「五鋒」ともいい、この名もまたそれの五枝に分かれ、枝端の鋭きが鋒刃に似るに就いてのものである。巫咸に曰く:五残星は正東方の原野の上に現れ、形状は水星のごとく細かく閃爍し、地を去ること約六七丈、大きくして白い。《春秋合誠図》に曰く:五残は乖違・敗亡を主る。郄萌に曰く:五残は兵事を主る星である。《黄帝占》に曰く:東方に一つの星があり、望み上げると地を去ること約六丈、大きくして紅く、細かく見れば中心は青色を呈す。(原書の小注:孟康に曰く、星の外周には一層の青気があり、光暈を帯ぶがごとし。)それはたいそう歳星に似て、これはすなわち東方の原野の星で、名は五残という。それが一たび現れれば、兵事は大規模に興る。それの出た方位の下に喪事がある。もし北方に偏して現れれば、東方の邦国は土地を喪失する。以上の諸家の記す所は、色はあるいは白といい、あるいは赤に青を帯ぶといい、形状はあるいは水星に比し、あるいは歳星に比し、出異って一でないが、まさにそれはもともと行星の気の変ずる所で、常星ではないがゆえである。

《河圖》曰:“五殘出,則宰司馬之輩萌。”《河圖》曰:“五殘出,四蕃虐,天子有急兵。”《洛書洛罪級》曰:“五殘六賊出,禍合天下,逆侵關樞。”《洛書兵鈐勢》曰:“五殘起,野亂成。”《洛書》曰:“五鋒星出翌,白帝亡也。”《尚書緯運期授》曰:“白帝亡也,五殘出。”《春秋緯考異郵》曰:“五殘備急。”《考異郵》曰:“五殘見,則主誅政、去伯。”郄萌曰:“五殘見,則國殘,起奔繫亡。”《天官書》曰:“五殘所出非其方,為其下有兵,沖不利。”《荊州占》曰:“五殘大而赤,數動,察之而青。”《荊州占》曰:“五殘出則兵起,其下為喪。”

《河図》に曰く:五残が現れれば、宰相・司馬の類の重臣はまさに異心を萌さんとする。《河図》はまた曰く:五残が現れれば、四方の藩国は暴虐で、天子に緊急の兵事がある。《洛書洛罪級》に曰く:五残と六賊がともに現れれば、禍乱は汇合して天下に遍く、叛逆の徒は朝廷の枢要を侵犯する。《洛書兵鈐勢》に曰く:五残が興れば、田野の間の動乱はまさに醸成せんとする。《洛書》に曰く:五鋒星が翼宿に現れれば、西方の白帝の国の滅亡を主る。《尚書緯・運期授》に曰く:白帝の国がまさに亡びんとする時、五残は現れる。《春秋緯・考異郵》に曰く:五残は急難に備えることを主る。《考異郵》はまた曰く:五残が現れれば、君主が弊政を誅除し、霸主を廃黜することを主る。郄萌に曰く:五残が現れれば、国家は残破し、百姓は奔逃・流亡し、囚繫されて死ぬ。《史記・天官書》に曰く:五残がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事を主り、それと相冲する方は不利である。《荊州占》に曰く:五残は大きくして紅く、閃動は頻繁で、細かく見れば青色である。《荊州占》はまた曰く:五残が現れれば兵を起こし、その下に喪事がある。

六賊 其の十四

《黃帝占》曰:“六賊者,五行之氣,出於南方,名曰六賊,火之氣也。”孟康曰:“六賊星,形如彗。”《黃帝占》曰:“南方有星,望之,去地六丈,赤而數動,察之有光,其類熒惑,是謂南方之野星,名曰六賊,出則兵起,其國亂。其出也,下有喪;出東方,則南方邦失地。”巫咸曰:“六賊星見,出正南方之野,星去地可六丈,大而赤,數動有光。”《天官書》曰:“六賊星所出非其方,為其下有兵,沖不利。”

《黄帝占》に曰く:六賊は五行の気の変異の成す所で、南方に現れ、名は六賊といい、火の気に属する。孟康に曰く:六賊星の形状は彗星に似る。《黄帝占》に曰く:南方に一つの星があり、望み上げると地を去ること六丈、色は紅にして閃動は頻繁で、細かく見れば光芒を帯び、たいそう火星に似て、これはすなわち南方の原野の星で、名は六賊という。それが一たび現れれば、兵事が興り、その国は動乱する。それの出た方位の下に喪事がある。もし東方に偏して現れれば、南方の邦国は土地を喪失する。巫咸に曰く:六賊星が現れるは、正南方の原野の上にあり、地を去ること約六丈、大きくして紅く、閃動は頻繁にして光あり。《史記・天官書》に曰く:六賊星がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事を主り、それと相冲する方は不利である。ここにいう「野星」とは、四方の原野の低空に現れて、二十八宿の常星の列に属さない変異の星を指す。いわゆる「冲」とは、それと正相対するあの方位を指す。

獄漢 其の十五

《河圖》曰:“填星之精,散為獄漢。”《春秋運斗樞》曰:“權星散為獄漢。”《黃帝占》曰:“咸漢者,五行之氣,出於北方,名曰咸漢,水之氣也。”班固《天文志》曰:“獄漢,一名曰咸漢。”《天官書》曰:“獄漢星,出正北方之野,星去地可六丈,大而赤,數動,察之中青。”孟康曰:“獄漢,青中赤表,下有三彗縱橫。”《春秋合誠圖》曰:“獄漢主逐王。”《春秋潛潭巴》曰:“獄漢主刺王。”

《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「獄漢」という妖星と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗の中の玉衡(「権星」)の精気が散じて獄漢と化する。《黄帝占》に曰く:咸漢は五行の気の成す所で、北方に現れ、名は咸漢といい、水の気に属する。班固《漢書・天文志》に曰く:獄漢はまた咸漢ともいう。《史記・天官書》に曰く:獄漢星は正北方の原野の上に現れ、地を去ること約六丈、大きくして紅く、閃動は頻繁で、細かく見れば中心は青色を呈す。孟康に曰く:獄漢は中は青にして表は赤く、下方にまた三条の彗芒が縦横に交錯する。《春秋合誠図》に曰く:獄漢は君王を駆逐することを主る。《春秋潜潭巴》に曰く:獄漢は君王を行刺することを主る。この星が「獄」を名とするは、もともと刑獄・囚繫の義を取る。諸家は「獄漢」「咸漢」の二名の間でしばしば互用するが、実は同一の妖星を指す。

《黃帝占》曰:“北方有星,望之,可去地六丈,大而赤,數動,察之,中青黑,其類辰星,謂北方之野星,名曰咸漢,出則兵起,其出也,下有喪;出西,則北方之邦失地。”《洛書兵鈐勢》曰:“獄漢動,諸侯驚。”《春秋運斗樞》曰:“獄漢出,陰精橫。”《天官書》曰:“獄漢所出非其方,為其下有兵,沖不利。”《荊州占》曰:“獄漢出則兵起,其下為喪。”

《黄帝占》に曰く:北方に一つの星があり、望み上げると地を去ること約六丈、大きくして紅く、閃動は頻繁で、細かく見れば中心は青黒色、たいそう水星に似て、これは北方の原野の星で、名は咸漢という。それが一たび現れれば、兵事が興る。それの出た方位の下に喪事がある。もし西方に偏して現れれば、北方の邦国は土地を喪失する。《洛書兵鈐勢》に曰く:獄漢が一たび動けば、諸侯はこれがために震驚する。《春秋運斗枢》に曰く:獄漢が現れれば、陰気の精は横行して節制を受けない。《史記・天官書》に曰く:獄漢がその在るべき方位に現れなければ、その下に兵事を主り、それと相冲する方は不利である。《荊州占》に曰く:獄漢が現れれば兵を起こし、その下に喪事がある。

大賁 其の十六

《河圖》曰:“填星之精,散為大賁。”《河圖》曰:“大賁出,主暴沖也。”

《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「大賁」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:大賁が一たび現れれば、暴烈の冲撞・抵触の事を主り、すなわち強横の勢が正面から相犯し、兵争はこれによって起こる。

炤星 其の十七

《河圖》曰:“填星之精,散為炤星。”《河圖》曰:“炤星主滅邦。”又曰:“炤星見,主滅亡。”

《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「炤星」という妖星と化する(「炤」はすなわち照で、それの光が人を照らすことを指す)。《河図》はまた曰く:炤星は邦国を覆滅せしめることを主る。また一条に曰く:炤星が一たび現れれば、滅亡の事が発生することを主る。

絀流 其の十八

《河圖》曰:“填星之精,散為絀流。”《春秋緯》曰:“絀流主伏逃。”《河圖》曰:“絀流動,天下嗷,主自理,無所逃。”

《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「絀流」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:絀流は隠伏と逃亡を主る。《河図》はまた曰く:絀流が一たび動けば、天下の百姓は嗷々として哀号する。この時君主はみずから政事を整飭するほかなく、もう別の躲避すべき所はない。

茀星 其の十九

甘氏曰:“茀星出東南,本有星,末類茀,所當之國,是受其殃。”京房曰:“茀星三角,三年消;五角,五年消;七角,七年消;九角,九年消。”

甘徳に曰く:茀星は東南方に現れ、根部に一つの星があり、末梢は帚のごとく散じる。それに正対するあの国は、この災殃を受けなければならない。京房に曰く:茀星に三つの角を生ずるは三年後に消散し、五つの角は五年に消散し、七つの角は七年に消散し、九つの角は九年にしてようやく消散する。

開元占経 巻八十六

妖星占 中

旬始占 其の二十

《河圖》曰:“填星之精,散為旬始。”《春秋運斗樞》曰:“樞星散為旬始。”《說苑》曰:“旬始五星,盈縮之所生也。”《廣雅》曰:“旬始,妖氣也。”(徐廣曰:旬始,蚩尤也。)巫咸曰:“旬始出於北斗傍,伏如雄雞,其怒青黑,象伏鰲。”(李奇曰:怒當為孥。晉灼曰:孥,雌也;或曰怒則青色。按司馬長卿《大人賦》曰:垂旬始以為慘兮,槥彗星以為髯。謂此星也。)

《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「旬始」という妖星と化する。《春秋運斗枢》に曰く:北斗第一星・天枢(「枢星」)の精気が散じて旬始と化する。《説苑》に曰く:旬始は五大行星の運行の超前あるいは後れの生じた変異である。《広雅》に曰く:旬始は一種の妖気である。(原書の小注:徐広に曰く、旬始はすなわち蚩尤である。)巫咸に曰く:旬始は北斗のそばに現れ、そこに伏して一羽の雄鶏に似る。それが怒る時は青黒色を呈し、様子は一隻の趴伏した大きな鼈に似る。(原書の小注:李奇に曰く、「怒」の字は「孥」と作るべきである。晋灼に曰く、「孥」は雌の義である。あるいはそれが怒れば青色に変ずるという。按するに司馬相如(字は長卿)《大人賦》に「旬始を垂れて以て惨と為さんや、彗星を槥して以て髯と為す」といえば、講ずる所はこの星である。)

《春秋合誠圖》曰:“黃彗分為旬始。旬始者,令起也,狀如雄雞,土含陽以文,白接精象雞,故以為立主之題,十年,聖人起伏。”(宋均注曰:接,理也;題,識也。土含文來,故其氣理為雞,取其知時,土數十也,起作也。)《春秋合誠圖》曰:“旬始主爭兵。”《春秋考異郵》曰:“旬始主亂。”《春秋潛潭巴》曰:“旬始主招橫。”《春秋考異郵》曰:“旬始其下,必有滅亡,五奸爭治,暴骨積骸,以子續食。見則臣亂、兵作、諸侯為虐。”

《春秋合誠図》に曰く:黄色の彗気は分化して旬始を出す。「旬始」の含義は号令の興起で、その形状は一羽の雄鶏に似る。これは土気が陽気を涵蓄して文采を成し、白色の気脈が交結して精を成し、形貌似が鶏に似るので、これを新君を確立する標識とし、十年を過ぎて聖人は起って有為となる。(原書の小注:宋均の注に曰く、「接」は条理の意、「題」は標識の意である。土気が文采を涵蓄して来るので、その気脈は鶏形を結び、鶏が時辰を知る義を取る。土の成数は十。「起」はすなわち興作である。)《春秋合誠図》はまた曰く:旬始は争闘の兵事を主る。《春秋考異郵》に曰く:旬始は動乱を主る。《春秋潜潭巴》に曰く:旬始は横逆の禍を招くことを主る。《春秋考異郵》はまた曰く:旬始の対応する所は、必ず滅亡の事があり、五種の奸邪の人が治権を争奪し、屍骨は暴露して積まり、甚だしくは子を易えて食する地歩に至る。それが一たび現れれば、臣下が乱を起こし、兵禍が興り、諸侯が暴虐を施行することを主る。

《黃帝占》曰:“常以戊戌(巫咸曰:戊己)視五車中,有奇怪曰旬始,狀如鳥有喙而見者,明則兵大起。攻戰當其首者,破死,欲為之,左右勿逆。”《黃帝占》曰:“旬始見天庫中,所向兵弗能當。”《黃帝占》曰:“旬始出見北斗,聖人受命,天子壽,主者有福。”《文曜鉤》曰:“旬始見,行起北斗傍,期六十日,兵大起,上將軍出,帝自臨兵,期不出年。”

《黄帝占》に曰く:つねに戊戌の日に(原書の小注:巫咸は戊日・己日という)五車の星区の中を観察し、もし奇異・反常の星象があれば、それを旬始という。その形状は一羽の鳥のごとく尖った喙を帯び、もし顕れて明らかなら、兵事は大規模に興る。作戦する時それの頭部の方向に正対して進攻する方は、撃破されて死ぬ。それに順おうと欲すれば、左右の両側から兵を用い、その頭に迎えて正面から逆らうなかれ。《黄帝占》はまた曰く:旬始が天庫の星区の中に現れれば、それの指向する方は兵鋒鋭くして当たりえない。《黄帝占》はまた曰く:旬始が北斗の一の一帯に現れれば、聖人が天命を受け、天子は寿ぎ、権を当る人に福があることを主る。《文曜鈎》に曰く:旬始が現れ、北斗のそばに沿うて運行し、六十日を期として兵事は大いに起こり、上将軍は出征し、皇帝は自ら軍旅を督臨し、応験は一年を出ない。

《春秋緯》曰:“聚變並集,旬始昭,天下有滅主,五奸爭治。”《春秋緯運斗樞》曰:“闢之失樞,旬始出於五諸侯。”《孝經章句》曰:“有妖星在東井陰,名曰旬始,旬始出,主失國,入井則霜。”郗萌曰:“旬始出建星,水災並行,邊境起兵者,備水、盜賊。”班固《天文志》曰:“旬始如鱉,見,群猾橫盜。”《玄冥占》曰;“有星,狀如雄雉,其色赤黃,名曰旬始,見則天下有兵,其國不寧,期三年。”石氏曰:“常以戊戌日,(一曰戊己)視天軍中,有旬始星,狀如烏,見者兵大起,攻戰向其首者破,為之左旋乃戰,常勿逆也。”

《春秋緯》に曰く:各種の変異は一斉に聚集し、旬始は明らかに顕現して、天下に君主の滅ぶことがあり、五種の奸邪の人が治権を争奪する。《春秋緯・運斗枢》に曰く:君主が枢要の徳を失えば、旬始は五諸侯の星の附近に現れる。《孝経章句》に曰く:妖星が東井宿の陰位に現れ、名は旬始という。旬始が一たび出れば、君主が国家を失うことを主る。それがもし井宿に入れば、霜を降らす。郗萌に曰く:旬始が建星に現れれば、水災は同時に発生し、辺境は兵を起こす。このような星象に遭えば水患と盗賊に備えなければならない。班固《漢書・天文志》に曰く:旬始の形状は鼈に似て、一たび現れれば、奸猾の徒は成群して横行して劫掠する。《玄冥占》に曰く:一つの星があり、形状は雄の雉に似て、色は赤黄、名は旬始という。それが一たび現れれば、天下に兵事があり、その国は安らかでなく、応験期は三年。石申に曰く:つねに戊戌日に(原書の小注:一説に戊日・己日)天軍の星区の中を観察し、もし旬始星があって、形状は烏鴉に似れば、それを見れば兵事は大規模に興る。作戦する時それの頭部の方向に向かって進攻する方は撃破され、左に回旋して然る後に接戦すべく、万々も正面から逆らうなかれ。

撃咎 其の二十一

《河圖》曰:“填星之精,散為擊咎。”《河圖》曰:“擊咎出,臣弄主;一曰臣禁主。”《河圖》曰:“擊咎主大兵。”《文曜鉤》曰:“擊咎守軫,耀百尺,為相誅滅。”《河圖》曰:“土精斗七星之域,以長四方,八卦之內,司空之位,有謀反若盜虐者,期如上占。”

《河図》に曰く:填星の精気は散逸して「撃咎」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:撃咎が現れれば、臣下が君主を股掌の間に玩弄することを主る。別の一説は臣下が君主を鉗制する。《河図》はまた曰く:撃咎は大規模の兵事を主る。《文曜鈎》に曰く:撃咎が軫宿に滞留し、光耀の長さは百尺に達し、宰相の級の大臣が誅滅されることを主る。《河図》に曰く:これは土の精気で、北斗七星の管轄する天区に対応し、四方を統領し、八卦の内を包挙し、司空の職位に属する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは劫掠・暴虐の事を行えば、応験の期限は前の占法に依って推算する。

天杵 其の二十二

《河圖》曰:“太白之精,散為天杵。”石氏曰:“天杵主牂羊。”

《河図》に曰く:金星(古は「太白」と称す)の精気は散逸して「天杵」という妖星と化する。石申に曰く:天杵は牂羊の事を主り、すなわち牛羊・牲畜の類の災異を主る。

天拊 其の二十三

《河圖》曰:“太白之精,散為天拊。”《河圖》曰:“天拊主擊殃。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「天拊」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:天拊は撃って災殃を降すことを主り、すなわち上天が刑罰をもって下界を懲創する。

伏霊 其の二十四

《河圖》曰:“太白之精,散為伏靈。”《河圖》曰:“伏靈主領讒。”郗萌曰:“伏靈出,天下亂復治。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「伏霊」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:伏霊は讒を進める人を統領することを主り、すなわち讒佞の徒が勢を得て道に当たる。郗萌に曰く:伏霊が一たび現れれば、天下はまず乱れ、然る後また安定に帰る。

大敗 其の二十五

《河圖》曰:“太白之精,散為大敗。”《河圖》曰:“大敗主開街。”韓楊曰:“大敗出,擊咎謀。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「大敗」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:大敗は街道を開闢することを主り、兵禍を過ぎて城邑が残破し道路が洞開することを指す。韓楊に曰く:大敗が一たび現れれば、禍心を包蔵する企てを撃破することを主る。

司奸 其の二十六

《河圖》曰:“太白之精,散為司奸。”《河圖》曰:“司奸主見妖。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「司奸」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:司奸は奸邪を顕露せしめることを主り、種種の妖異の事はこれによって人の前に暴露する。

天狗 其の二十七

《河圖》曰:“太白之精,散為天狗。”《黃帝占》曰:“天狗者,五星氣合,變出西南,金火氣合,名曰天狗。”孟康曰:“天狗星有毛,旁有短彗,下有如狗刑者。”(按《三秦記》曰:驪山西有白鹿原,周平王時白鹿出是原,原上有狗枷保秦,襄公時,有天狗枷來下,長保其上,有賊,天狗則吠而護之,故一保無患也。)抱朴子曰:“有黑氣如牛馬入其軍者,名天狗下食血,其軍必敗。”(《廣雅》曰:天狗,妖氣也。)《河圖》曰:“天狗主候兵。”《春秋緯》曰:“天狗主討賊。”《春秋緯》曰:“天狗流,五將開。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「天狗」という妖星と化する。《黄帝占》に曰く:天狗は五星の気の交合・変異して出る所で、西南方に現れ、金気と火気の交合して成る所で、名は天狗という。孟康に曰く:天狗星は毛芒を帯び、そばに短い彗尾があり、下方に犬のごとき刑状がある。(原書の小注:按するに《三秦記》に曰く、驪山の西面に白鹿原があり、周の平王の時白鹿がこの原に現れた。原の上に「狗枷」があって秦国を保佑し、秦の襄公の時天狗枷が降りて来て、久しくその上を守り、一たび盗賊があれば、天狗は吠えて護衛したので、堡全体が平安無事であった。)葛洪《抱朴子》に曰く:黒気があって牛馬のごとくにしてある軍隊に入るは、これを天狗が下降して血肉を吸食するといい、その軍隊は必ず敗戦する。(原書の小注:《広雅》に曰く、天狗は一種の妖気である。)《河図》に曰く:天狗は兵情を偵察することを主る。《春秋緯》に曰く:天狗は賊寇を討伐することを主る。《春秋緯》はまた曰く:天狗が流墜すれば、五路の将領は同時に出動する。

石氏曰:“西北有星,長三丈而出,水金氣交,名曰天狗。”(《荊州占》曰:西北三星,大而白,名曰天狗,見則大兵起,天下飢,人相食。按《辛氏秦州記》:乞伏韓歸獵於康狼州,見天上如有十丈餘絳,直下山川,草木皆赤,相氣者云:天狗下。後遂破呂保是也。)石氏曰:“天狗所下之處,必有大戰,破軍殺將,伏尸流血,天狗食之,皆期一年,中二年,遠三年,各以其所下之國,以占吉凶。”

石申に曰く:西北方に一つの星があり、長さ三丈にして現れ、水気と金気の交会して成る所で、名は天狗という。(原書の小注:《荊州占》に曰く、西北方に三つの星があり、大きくして白く、名は天狗という。一たび現れれば大規模の戦事があり、天下は飢饉し、甚だしくは人は人を食う。按するに辛氏《秦州記》に曰く、乞伏韓帰は康狼州で狩猟し、天上に十余丈の絳紅の光気のごときがあり、山川の間に直に落ち、草木は皆紅色に映じた。望気を識る人がいう、これは天狗の下降である。後に彼は果たして呂保を攻破した。)石申に曰く:天狗の降る所は、必ず大戦が発生し、軍隊は撃破され将領は殺され、屍は野に横たわり血は河を流し、天狗は来てこれらの血肉を吞食する。応験の期限は、近くは一年、中は二年、遠くは三年で、それぞれそれの降るあの国によって吉凶を占断する。

郗萌曰:“西北有三大星,出如日狀,名曰天狗。天狗出入相食;一曰昭明下,則為天狗,天狗所下,兵大起,流血。”郗萌曰:“星出,其狀赤白有光,下即為天狗,其下小,小有足,所下之地,必流血,國易政。”

郗萌に曰く:西北方に三つの大星があり、現れる時形状は太陽に似て、名は天狗という。天狗の出没する所は互いに吞食の禍がある。別の一説に、昭明星が落下して来れば天狗と成り、天狗の降る所は兵事が大いに起こり、血は河を流す。郗萌はまた曰く:星が現れて、その形状は赤白にして光を帯び、墜落して来ればすなわち天狗である。それの下部は比較的小さく、小さい所にはまた脚のごとき形状を帯びる。それの降る所は、必ず血が河を流し、国家は朝を改め政を換る。

(按《山海經》曰:“金門之山,有赤犬,名曰天犬,其所下有兵。”郭璞注曰:“《周書》云:天狗所止地盡傾,餘光飛天為流星,長數十丈,其疾如風,聲如雷,走如電。吳楚七國反時過樑野。”《洪範五行傳》曰:“七國之兵戰於梁地,故狗先降梁壘,以見其象也。狗者,守圍之類也。天狗所降,以戒守圍。”班固《天文志》曰:“孝文帝后二年八月,天狗下樑野,是歲誅反者周殷長安市,吳楚攻梁,梁王堅守,遂伏尸流血其下。七年六月,文帝崩。”)

(原書の小注:按するに《山海経》に曰く:「金門の山に赤色の犬あり、名は天犬といい、それの降る所に兵事あり。」郭璞の注に曰く:「《周書》にいう、天狗の停落する所は土地が尽く塌陷し、残りの光は天に飛び上がって流星と成り、長さ数十丈、疾きこと風のごとく、声は雷のごとく、走るは電のごとし。呉楚の七国が反逆した時、それは梁国の原野を過ぎた。」《洪範五行伝》に曰く:「七国の軍隊は梁地で交戦したので、天狗はまず梁国の営壘の上に降りてもって徴象を顕示した。狗は囲を守る類の動物で、天狗の降るは、まさに人に囲を守り敵を禦ぐよう警戒するのである。」班固《漢書・天文志》に曰く:「漢の文帝・後元二年八月、天狗は梁国の原野に降落した。この年、長安の街市上で謀反の周殷を処死した。後に呉楚は梁国を攻め、梁王は堅守し、屍の横たわり血の流れるはついにここで応験した。後元七年六月、文帝は崩じた。」)

班固《天文志》曰:“哀帝定平元年正月丁未,日出時,有著天白氣,廣如一疋布,長十餘丈,西南行,讙如雷,西行一刻而止,名曰天狗。傳曰:言不從,則有狗禍。到其四年正月、二月、三月,民相驚動,讙譁奔走,傳行詔禱祠西王母。”《兵書》曰:“兩敵相望,其雲氣如牛馬狀,頭低尾仰,名曰天狗,勿與戰。”《荊州占》曰:“天狗犯弧星,大將有千里之行,若貴人多死。”

班固《漢書・天文志》に記す:漢の哀帝・定平元年正月丁未、日出る時、一道の白気が天に附着し、幅は一匹の布のごとく、長さ十余丈、西南方に移動し、喧響は雷のごとく、西に行くこと一刻にしてやっと止まった。これを天狗という。《洪範五行伝》に曰く:君主の言令が聴従されなければ、狗の類の妖禍がある。第四年の正月・二月・三月に至り、百姓は互いに驚擾し、喧嘩して奔走し、転転として詔令を伝えて西王母を祭祀した。《兵書》に曰く:両軍が壘を対し相望んで、もし雲気が牛馬の形を呈し、頭は低く尾は高ければ、それを天狗といい、相手と交戦してはならない。《荊州占》に曰く:天狗が弧矢星を侵犯すれば、大将に千里遠征の行があることを主るか、あるいは貴人が多く死亡する。

天残 其の二十八

《河圖》曰:“太白之精,散為天殘。”《春秋緯》曰:“天殘主貪殘。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「天残」という妖星と化する。《春秋緯》に曰く:天残は貪婪・残虐の事を主り、すなわち位にある者が聚斂して度がなく、生民を戕害する。

卒起 其の二十九

《河圖》曰:“太白之精,散為卒起。”《河圖》曰:“卒起見,禍無時,諸變有萌者,臣運柄。”《河圖》曰:“卒起主虐亡,河少陰之精,大司馬之類,白虎七宿之域,有謀反,若戾虐為害,主失秋政者,期如上占,禍應之。”

《河図》に曰く:太白の精気は散逸して「卒起」という妖星と化する。《河図》はまた曰く:卒起が一たび現れれば、禍患は随時発作するおそれがあり、定時がない。種種の変異はすでに萌生し、これはすなわち臣下が権柄を窃取する徴兆である。《河図》はまた曰く:卒起は暴虐・敗亡を主り、それは少陰の気の精華で、大司馬の類の職守に属し、西方の白虎七宿の天区に対応する。およそ叛乱を企てる人があり、あるいは乖戻・暴虐して生民を危害し、あるいは君主が秋季に施行すべき政令を荒廃すれば、応験の期限は前の占法に依って推算し、災禍はこれに照らして応験する。

枉矢 其の三十

《河圖稽耀鉤》曰:“辰星之精,散為枉矢。”《荊州占》曰:“填星之精,變為枉矢。”《春秋運斗樞》曰:“幾星散為枉矢。”《說苑》曰:“枉矢之星,盈縮之所生也。”《鴻範五行傳》曰:“枉矢者,弓弩之象也。枉矢之所觸,天下之所伐,滅亡之象也。”巫咸曰:“枉矢,類大流星,色蒼黑,蛇行,望之,如有毛目,長數丈著天。”

《河図稽耀鈎》に曰く:水星(古は「辰星」と称す)の精気は散逸して「枉矢」という妖星と化する。《荊州占》に曰く:填星の精気は変異して枉矢と成る。《春秋運斗枢》に曰く:北斗・天璣(「幾星」)の精気が散じて枉矢と化する。《説苑》に曰く:枉矢という星は、五星の運行の超前あるいは後れの生じたものである。《洪範五行伝》に曰く:枉矢は弓弩の象徴である。枉矢の冲触する所は、天下人が共同で討伐する対象で、それは滅亡の徴象である。巫咸に曰く:枉矢は一顆の大流星に似て、色は青黒く、蛇のごとく蜿蜒して游走し、望み上げるとあたかも毛と目を生じたがごとく、長さ数丈、天に贴附する。

《春秋合誠圖》曰:“枉矢主反萌,黑彗分,為枉矢。枉矢者,射星也,水流蛇行;含明,故有毛目;陰合於四,故長四;又水生木,其怒青黑,水滅火,其精沉,故以為謀反之徵;在所流,受者滅,皆為天子之祥;陰道於六,期六年,萌二十四年,天子以兵亡,所已議見起。”

《春秋合誠図》に曰く:枉矢は叛乱の萌発を主り、黒色の彗気が分化して出て、枉矢と成る。いわゆる枉矢とは、すなわち射星で、それは水のごとく流動し、蛇のごとく爬行する。内に光明を含むがゆえに、毛と目があると見える。陰数は四に合するので、その長は四丈。水は木を生ずるがゆえに、それが怒る時は青黒色を呈す。水は火を滅し、その精気は沈下するので、これを謀反の徴兆とする。それがどこに流れるか、それを受ける方は滅亡し、これらは皆天子に関する徴兆である。陰道は六に成るので、応験期は六年、醸醸は二十四年に達し、天子は兵禍によって亡び、もとより暗中に議論し謀る人は勢に乗じて事を起こす。

《春秋緯》曰:“枉矢主射愚;又曰:枉矢流,射所謀。”《河圖》曰:“枉矢東流天下恐。”《洛書》曰:“枉矢出,夏桀滅。”《尚書中候》曰:“夏桀無道枉矢射。”《河圖真紀鉤》曰:“人君邪暴專已,則枉矢動。”《洛書說徵示》曰:“枉矢射心,山崩火燔宮。”《洛書洛罪級》曰:“枉矢射,主以兵去。”《易緯辨終備》曰:“枉矢流,隱謀合,國雄逃。”《詩緯》曰:“枉矢流,天降喪亂。”《詩緯含神霧》曰:“白之亡,枉矢流。”《尚書運期授》曰:“白之亡也,枉矢射參。”《尚書緯》曰:“枉矢流,天射王。”

《春秋緯》に曰く:枉矢は愚頑の人を射殺することを主る。又曰く、枉矢が流墜するは、暗中に企てる人を射るのである。《河図》に曰く:枉矢が東に流墜すれば、天下は驚恐する。《洛書》に曰く:枉矢が一たび出れば、夏の桀は滅亡する。《尚書中候》に曰く:夏の桀は無道で、枉矢は来て彼を射る。《河図真紀鈎》に曰く:君主が邪僻・暴虐で、断を専にし行を独りすれば、枉矢は動く。《洛書説征示》に曰く:枉矢が心宿に向かって射れば、山崩し、大火は宮室を焚焼する。《洛書洛罪級》に曰く:枉矢が射て出れば、君主が兵禍によって位を失うことを主る。《易緯辨終備》に曰く:枉矢が流墜すれば、暗中の陰謀はすでに結託し、国中の豪雄は出逃する。《詩緯》に曰く:枉矢が流墜すれば、天は喪乱を降す。《詩緯含神霧》に曰く:白帝の国がまさに亡びんとすれば、枉矢は流墜する。《尚書運期授》に曰く:白帝の国がまさに亡びんとする時、枉矢は参宿に向かって射る。《尚書緯》に曰く:枉矢が流墜するは、それは天が君王を射殺するのである。以上に引いた各家の緯書は、反復して枉矢を弑逆の象と見なす。矢はもともと筆直なるべきが、それはかえって蛇のごとく蜿蜒して屈曲するので、従来君臣が皆その正道を失う凶兆と見做される。至る所夏の桀・白帝の類を挙げるは、前代の亡国の君を持ってこの星象を印証するのである。

《春秋緯》曰:“黃之亡,有枉矢下流到地上,屬天下以兵亡,天子凶。”《春秋緯》曰:“枉矢芒,臣不忠。民不良。”《春秋緯》曰:“枉矢或東或西,五穀不升,民流亡。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢或南或北,無聚眾伐敵國。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢守虛,卑國以實,尊國虛。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢守填星,民多事,其大芒也黃,德昌。”《春秋潛潭巴》曰:“枉矢黑,軍士不勇,疾流腫。”

《春秋緯》に曰く:黄帝の国がまさに亡びんとする時、枉矢が下に流墜して地面に到るは、これは天下が兵禍によって亡び、天子に凶険があることを予示する。《春秋緯》はまた曰く:枉矢に芒角を生ずれば、臣子が忠ならず、百姓が良ならないことを主る。《春秋緯》はまた曰く:枉矢が忽ち東忽ち西に流動すれば、五穀は歉収し、百姓は流離・逃亡する。《春秋潜潭巴》に曰く:枉矢が忽ち南忽ち北に流動すれば、衆を聚集して敵国を討伐してはならない。《春秋潜潭巴》はまた曰く:枉矢が虚宿に滞留すれば、卑弱の国家は転じて充実し、尊貴の国家はかえって空虚となる。《春秋潜潭巴》はまた曰く:枉矢が填星のそばに滞留すれば、百姓は事多し。もしそれの大芒が黄色を呈せば、かえって徳政の昌盛を主る。《春秋潜潭巴》はまた曰く:枉矢が黒色を呈せば、軍中の士卒は勇敢でなく、疾病は流行し、腫疾に患う。

《春秋緯運斗樞》曰:“枉矢出,射所誅。”《春秋運斗樞》曰:“黃帝行失,則枉矢出,射所謀,謀易失樞之主,故以枉矢射之。”《春秋考異郵》曰:“枉矢見,則謀反之兵合。”《考異郵》曰:“枉矢而流射伐,秦以亡。”《春秋漢含孳》曰:“枉矢流,主見射。”《春秋佐助期》曰:“枉矢流射,黜滅不祥。”《孝經鉤命決》曰:“亂蔣蔣,枉矢出。”《孝經援神契》曰:“枉矢射,匿謀強。”《論語摘輔像》曰:“虛王反度,則枉矢合。”

《春秋緯・運斗枢》に曰く:枉矢が現れるは、誅除されるべき人を射るのである。《春秋運斗枢》はまた曰く:黄帝の類の君主が行事に失あれば、枉矢は現れ、図みを懐く人を射る。彼らの謀る所はあの枢要の徳を喪失した君主に取って代わることなので、天は枉矢をもって彼らを射る。《春秋考異郵》に曰く:枉矢が現れれば、謀反の軍隊はまさに集結する。《考異郵》はまた曰く:枉矢が流墜して討伐の地に射れば、秦はこれによって亡んだ。《春秋漢含孳》に曰く:枉矢が流墜すれば、君主が射られることを主る。《春秋佐助期》に曰く:枉矢が流墜して射て出れば、不祥の人を黜退して消滅せんとするのである。《孝経鈎命決》に曰く:世の道が乱紛紛たる時、枉矢は現れる。《孝経援神契》に曰く:枉矢が射て出れば、暗中の陰謀の勢力が強盛を主る。《論語摘輔像》に曰く:位を虚しくする君王が法度に違反すれば、枉矢は聚合して至る。

《海中占》曰:“枉矢類流星,望之有毛目,長可一疋布,皎皎著天,見則大兵起,大將出,弓弩用,期三年。”石氏曰:“枉矢射心,地陷備虛狼。”郗萌曰:“枉矢出東井,邊境起兵,火災並行,受者備火、盜賊。”《說苑》曰:“秦二世立,枉矢夜光。”郗萌曰:“枉矢射參,秦以亡。一曰帝亡。”班固《天文志》曰:“枉矢所觸,天下之所伐射,滅亡之象也。”

《海中占》に曰く:枉矢は流星に似て、望み上げれば毛と目があり、長さは一匹の布のごとく、皎々として天に贴り、それが一たび現れれば、大規模の戦事が興り、大将は出征し、弓弩は用をなし、応験期は三年である。石申に曰く:枉矢が心宿に向かって射れば、地面は塌陷し、虚宿・狼星の方位の災禍に備えなければならない。郗萌に曰く:枉矢が東井宿に現れれば、辺境は兵を起こし、火災は同時に発生する。この象に応ずる所は火患と盗賊に備えなければならない。《説苑》に曰く:秦の二世が位に就いた時、枉矢は夜に光を放った。郗萌に曰く:枉矢が参宿に向かって射れば、秦はこれによって亡ぶ。一説に帝王の死亡を主る。班固《漢書・天文志》に曰く:枉矢の冲触する所は、天下人が共同で討伐・射撃する対象で、それは滅亡の徴象である。

(按《宋書天文志》曰晉元帝大典三年四月壬辰,枉出虛危,沒翼軫。永昌元年三月,王敦率江荊之眾來攻京都,六軍距戰,敗績,於是殺護軍將軍周頡、尚書令刁協、驃騎將軍戴弼,又鎮北將軍劉隗出奔。四月,又殺湘州刺史譙土承,鎮南將軍甘卓。閏十一月,元帝崩。間一年,敦亦梟,枉矢之應。)

(原書の小注:按するに《宋書・天文志》に曰く、晋の元帝・大典三年(すなわち大興三年)四月壬辰、枉矢は虚宿・危宿の一帯から現れ、翼宿・軫宿で隠没した。永昌元年三月、王敦は江州・荊州の兵衆を率いて京城を攻めに来て、朝廷の六軍は応戦して敗績し、ここに護軍将軍・周顗・尚書令・刁協・驃騎将軍・戴弼は殺され、鎮北将軍・劉隗は出奔して逃亡した。四月、また湘州刺史・譙土承と鎮南将軍・甘卓を殺した。閏十一月、元帝は崩じた。一年を隔てて、王敦もまた梟首して衆に示した。これはまさに枉矢の星象の応験である。)

班固《天文志》曰:“枉矢流,以亂伐亂。”(按《宋書天文志》曰:晉元康六年六月丙午,夜有枉矢在斗魁,東南行,是後趙王殺張華,廢賈后,以理太子之冤,遂自篡,以至屠城。光熙元年五月,枉矢西南流,是時司馬越西破河間,奉迎大駕,尋收繆胤和緩等,肆其無君之心,天下惡之,及死,而石勒焚其尸柩也。)

班固《漢書・天文志》に曰く:枉矢が流墜すれば、乱をもって乱を伐つことを主る。(原書の小注:按するに《宋書・天文志》に曰く、晋の恵帝・元康六年六月丙午、夜中に枉矢が北斗魁星の一帯にあり、東南方に向かって運行した。この後趙王・司馬倫は張華を殺し、賈后を廃黜し、太子の冤を申り替えると称して、続いて自ら位を簒い、遂に城を屠る禍を醸した。光熙元年五月、枉矢は西南に流墜し、この時司馬越は西に河間王を撃破し、鑾駕を迎え奉って京に還した。間もなくまた繆胤・和緩らを収捕し、肆意にその君上を目にない心を逞しくし、天下の人は皆彼を悪んだ。彼が死ぬに及んで、石勒は彼の屍柩を焚焼した。)

班固《天文志》曰:“項羽救鉅鹿,枉矢西流。占曰:枉矢所觸,天下之所伐射,滅亡象也。物莫直於矢,今蛇行,不能直矢而枉者,執矢者亦不正,以象項羽執政亂也。羽遂合從,坑秦人,屠咸陽。”

班固《漢書・天文志》に記す:項羽が鉅鹿を救援した時、枉矢は西に流墜した。占辞に曰く:枉矢の冲触する所は、天下人が共同で討伐・射撃する対象で、滅亡の徴象である。物は矢より直なるはなく、いまそれは蛇のごとく彎曲して爬行し、矢の筆直を保つこと能わず枉曲となれるは、矢を執る人もまた端正ならざるを説明し、項羽が政権を執掌して行事が悖乱なるを象徴するのに用いる。項羽は後に果たして諸侯を聯合し、秦軍の降卒を坑殺し、咸陽を屠戮した。

司馬彪《天文志》曰:“孝靈中平中夏,流星赤如火,長三四尺,起河鼓,入天市,牴觸宦者,星色白,長二三尺,後尾再屈,食頃乃滅,狀似枉矢。占曰:枉矢流發,其官射。所謂矢,當直,而枉者,操矢者邪枉人也。中平六年,大將軍何進謀盡誅中宦,中宦覺,於省中殺進,俱兩破滅,天下由此遂大壞亂。”

司馬彪《続漢書・天文志》に記す:漢の霊帝・中平年間の夏、流星が火のごとく紅く、長さ三四尺、河鼓星から升り、天市垣に入り、宦者星に抵触した。星色は白に転じ、長さ二三尺、尾部は二度彎曲し、約一頓飯のほどにしてやっと熄滅した。形状はたいそう枉矢に似る。占辞に曰く:枉矢が流墜して射て出れば、それの冲するあの官署を射るのである。いわゆる矢はもともと筆直なるべきが、いま枉曲するは、矢を操る人はすなわち邪枉の徒であるという。中平六年、大将軍・何進は宦官を尽く誅殺せんと企て、宦官は察覚して、禁省の中に何進を殺した。双方は両敗倶亡し、天下はこれからすなわち大いに壊れ大いに乱れた。

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