人が角を生じおよび地より自ら出づ
京房曰:“權臣專政,厥妖人生角。”《漢書五行志》曰:“景帝二年九月,膠東人年七十餘生角,角有毛。角,兵象;老人,吳王象也;年七十七,國象也。時膠西、濟南、臨淄、膠東四王謀反,連楚趙,凡七國。”《華陽國志》云:“李勢未亡之前,涪陵有民頭生角,長三寸,凡三截之。”《京房易傳》曰:“人自地出,君有憂,民散流,國亡地。”
京房はいう:「権臣が朝政を独攬すれば、相応する妖異はすなわち人の頭上に角を長ずるなり。」《漢書・五行志》はいう:「景帝二年九月、膠東に七十歳余りの人ありて頭上に角を長出し、角の上にまた毛を生ぜり。角は兵戈の象なり。老人は呉王の象なり。年紀の七十七は国数の象なり。時に膠西・済南・臨淄・膠東の四位の諸侯王は謀反し、また楚・趙の両国を串連し、一共に七国なり。」《華陽国志》はいう:「成漢の李勢が未だ国を亡ぼさざる前、涪陵に一民ありて頭に角を生じ、長さは三寸にして、前後に一共に三度截去せり。」《京房易伝》はいう:「人ありて地の中より鑽出するは、君主に憂患あり、百姓は流散し、国家は土地を喪失せん。」
男が女に化す
《春秋潛潭巴》曰:“小人聚,天子弱,則丈夫化為女子。”京房曰:“丈夫化為婦人,茲謂柔勝強,陰勝陽,邦必亡。”又曰:“男化為女,有異姓來其國。”《蜀王本紀》曰:“武都丈夫化為女子,顏色美好,蓋山精也。蜀王取為後,后死,蜀王於武都擔土,於成都葬之,故地號曰武擔。以石鏡一,表其墓。”《漢書五行志》曰:“哀帝建平三年,豫章有男子化為女子,嫁為人婦,生子。長安陳鳳言:陽變為陰,將無繼嗣,自相生之象,生一子,將復一世絕也。”
《春秋潜潭巴》はいう:「小人が聚集して党を成し、天子の勢が弱ければ、男子はすなわち女子に変化せん。」京房はいう:「男子が婦人に変化するは、これを柔の剛に勝ち・陰の陽に勝つと謂い、国家は必ず滅亡せん。」またはいう:「男が女に変ずるは、異姓の人のこの国家に進入する有らん。」《蜀王本紀》はいう:「武都に一箇の男子ありて女子に変化し、容貌は美好なり。蓋し山中の精怪ならん。蜀王は彼女を娶りて王后と為し、王后の死して後、蜀王は武都より土を挑担して運来し、彼女を成都に葬れり。故にあの地方を『武担』と謂い、また一面の石鏡を立てて墓の標志と為せり。」《漢書・五行志》はいう:「哀帝の建平三年、豫章に男子ありて女子に変化し、人家に嫁いで妻子を為り、また児子を生めり。長安の人・陳鳳はいう、陽が陰に変成するは、将に継嗣なからんとし、これは自ら自を生ずるの象なり。一箇の児子を生下すれども、一代を過ぐるもなお旧来の如く後を絶たんとす。」男女の形体の互相転変は、灾異家の見る所に於ては陰陽の位を失する極端の例証なり。故に歴代の史志は皆鄭重に記録を加えたり。
女が男に化す
《春秋潛潭巴》曰:“賢人去位,天子獨居,則女化為丈夫。”京房曰:“女子化為男子,茲謂陰昌,賤人為政,其邦必亡。”又曰:“君將絕嗣,則君妻化為男。”《紀年》曰:“晉定公二十五年,西山女子化為丈夫,與之妻,能生子。其年,鄭一女生四十人,二十人死。”《史記》曰:“魏襄王三年,魏有女子化丈夫。”《續漢書五行志》曰:“獻帝建安七年,越嶲有女子化為男子,時周群上言:‘哀帝時亦有此,將有代易之事。’至二十五年,帝封山陽公。”
《春秋潜潭巴》はいう:「賢人が職位を離れ、天子が孤立・無輔なれば、女子はすなわち男子に変化せん。」京房はいう:「女子が男子に変化するは、これを陰気の昌盛と謂い、卑賤の人が政を執れば、この国家は必ず滅亡せん。」またはいう:「君主が将に嗣を絶たんとすれば、国君の妻子はすなわち男子に変化せん。」《竹書紀年》はいう:「晋の定公二十五年、西山に女子ありて男子に変化し、彼に妻を娶らしむれば、能く児子を生むことを得。こ年に、鄭国に一婦人ありて四十箇の孩子を生下し、その中の二十箇は死せり。」《史記》はいう:「魏の襄王三年、魏国に女子ありて男子に変化せり。」《続漢書・五行志》はいう:「献帝の建安七年、越嶲に女子ありて男子に変化せり。当時に周群は上書していう、『哀帝の時にもまたこの種の事を出せり。将に改朝换代の事あらん』と。建安二十五年に到って、献帝はすなわち降封せられて山陽公と為れり。」男が女に化するに相対して、この一類の記載の占する所は陰気の陽位を侵奪するなり。故に断語は大多に卑賤の者の権を当て、宗嗣の断絶する上に帰す。
人が生まれて能く言う
《京房易傳》曰:“言之不知,則人生而能言,天使代其言也。”又曰:“人生而能言,言善則善,言惡則惡,此國之徵。”《地鏡》曰:“多有讒賊,人生而言。”
《京房易伝》はいう:「言語が当を失して省察することを知らざれば、すなわち嬰児ありて一生下来すれば便ち話すことを得。あれは上天が彼を派して人君に代わりて発言せしむるなり。」またはいう:「嬰児が生下来すればすなわち能く話すは、説く所が好話なればすなわち吉に応じ、説く所が悪話なればすなわち凶に応ず。これは一国の徴兆である。」《地鏡》はいう:「朝中に讒を進め人を害する輩多ければ、すなわち嬰児が一たび地に落ちれば話すの怪事を出現せんとす。」
人が生まれて能く行う
京房曰:“人生而行,其國大昌,其君有憂。又曰:自受其殃,黔首散亡。”《地鏡》曰:“王事急,民欲流亡,國有兵,則人生而能行。”
京房はいう:「嬰児が一生下来すれば能く走路するは、この国家は大いに昌盛するも、その君主には却って憂患あり。またはいう:君主は自身が灾殃を承受し、百姓は流散・逃亡せん。」(「黔首」は秦漢の間の平民・百姓に対する称呼である。)《地鏡》はいう:「王家の差役・徴発が急迫にして、百姓は将に流亡せんとし、国中に兵事あれば、すなわち嬰児が生下来して便ち行走することを得るの怪事を出現せんとす。」
人が相食む
《續漢書五行志》曰:“靈帝建寧三年,河內婦食夫,河南夫食婦。”《異苑》曰:“後漢桓帝元嘉元年,任城民婦生兒即自取食之,又謂姑曰天使如此,我亦行死尸僵者。門閭安欹者失,半覆則盡滅。言畢而匍匐,復產一兒而兩頭。五人楊難自王仇池,分國之應也。”
《続漢書・五行志》はいう:「霊帝の建寧三年、河内に妻子が丈夫を食らうあり、河南に丈夫が妻子を食らうあり。」《異苑》はいう:「後漢の桓帝の元嘉元年、任城に一箇の民婦ありて孩子を生下せばすなわち自ら彼を取りて食らい、また婆母に対していう、これは上天が我にかくの如くせしむるなり、我もまた将に死去して、僵卧の尸首と為らんとすと。門戸の安穏・端正なる人家はその安を失い、半ば傾覆するはすなわち尽く滅尽せん。話す已みて便ち地に匍匐し、隨いて後にまた一箇の両頭を長ずる嬰児を生下せり。これがすなわち楊難が仇池に於て自立して王と為り、国土の分裂するの応験なり。」
人が異形の子を生む
《天鏡》曰:“婦女一時生三男,不出三年,外國來;生三女,國有陰私。”《春秋潛潭巴》曰:“人生五首,猾大起。”京房曰:“人生子,首在背,天下易鄉。”《天鏡》曰:“人生兩首,不出三年,上帝命王徵四方,布令天下。”又曰:“人生四頭兩目,世主大哀;人生多頭,君王有咎,民顛沛流亡。”《地鏡》曰:“天下憂,主凶,民流亡,則人生有四目。”《天鏡》曰:“人生三目,橫兵並起為害。”京房曰:“人生子,有一目,其國不寧。”
《天鏡》(《地鏡》と同類の占候の書にして、もっぱら天地間の物象の示す徴応を記す)はいう:「婦人が一胎に三箇の男孩を生下するは、三年を出でずして、外国の人馬はすなわち到来せんとす。一胎に三箇の女孩を生ずるは、国中に隠秘の私情・丑事あり。」《春秋潜潭巴》はいう:「生下せし人に五箇の頭あるは、奸猾の徒は大批に興起せんとす。」京房はいう:「生下せし孩子は頭が背の上に長ずるは、天下は方向を改換せんとす。」《天鏡》はいう:「生下せし人に両箇の頭あるは、三年を出でずして、上帝は君王に命じて四方を征討し、天下に向かって号令を頒布せしめん。」またはいう:「生下せし人に四箇の頭・両只の眼睛あるは、当世の君主は大いに哀痛す。生下せし人の頭が甚だ多きは、君王に灾咎あり、百姓は顛沛・流亡せん。」《地鏡》はいう:「天下に憂患あり、君主に凶険あり、百姓は流亡すれば、すなわち人ありて生下来して四只の眼睛を長ぜん。」《天鏡》はいう:「生下せし人に三只の眼睛あるは、四面の兵禍は一斉に興起して害を為せん。」京房はいう:「生下せし孩子にただ一只の眼睛あるは、この国家は安寧を得ず。」
《春秋演孔圖》曰:“崇高將亡,陰不承陽,怨望生,則十口之人出。”京房曰:“人生有二口以上,國主見驚以兵。”《天鏡》曰:“人生兩口,五穀不登,百姓喪亡。”京房曰:“人生子,舌長,天下有兵;人生子,有一耳,是謂不聰;人生有三耳以上,是謂多方,其國無王。又曰:是謂多聰,國事無定;人生子,有一手,是謂不壽,其國有咎;人生有三臂,有反臣;人生有三手以上,臣謀主;人生三足,是謂非常,天下有兵。”
《春秋演孔図》(漢代の春秋緯の一つで、孔子の名に托して符命を講ず)はいう:「崇高なる王業は将に敗亡せんとし、陰気は更に陽気に順承せず、怨恨の心が滋生すれば、すなわち十張の嘴を長ずる人を出現せんとす。」京房はいう:「人は生下来して両張の嘴以上あるは、国主は兵事に驚擾せられん。」《天鏡》はいう:「生下せし人に両張の嘴あるは、五穀は熟せず、百姓は喪亡せん。」京房はいう:「生下せし孩子は舌頭が格外に長きは、天下に兵事あり。生下せし孩子にただ一只の耳朵あるは、これを『不聡』と謂う。生下せし人に三只の耳朵以上あるは、これを『多方』と謂い、この国家に真の君王なし。また一説に、これを『多聡』と謂い、国事に定准なし。生下せし孩子にただ一只の手あるは、これを『不寿』と謂い、この国家に灾咎あり。生下せし人に三条の臂膀あるは、反叛の臣有らんとす。生下せし人に三只の手以上あるは、臣下は君主を図謀す。生下せし人に三只の脚あるは、これを『非常』と謂い、天下に兵事あり。」
《天鏡》曰:“人生多足,是謂大役,其國東西移走;人生有三足,不出二年,國有兵喪。”京房曰:“人生子,有一足,是謂不行,國主亡;人生子,有三十指,民流亡;人生子,有二鼻,有民謀其主;人生有二背,臣反主亡。”《天鏡》曰:“人生兩身,世主被殃,民人散亡;人生兩腹,不出三年,歲大熟,民食足。”京房曰:“人生子,有三腹,其國分;人生有二腹,是謂惡祥,國主以仇亡;人生子目在首上及後,天子亡。”
《天鏡》はいう:「生下せし人の脚が甚だ多きは、これを『大役』と謂い、この国家の百姓は東奔・西走せんとす。生下せし人に三只の脚あるは、二年を出でずして、国中に兵禍と丧事あり。」京房はいう:「生下せし孩子にただ一只の脚あるは、これを『不行』と謂い、国主は亡なんとす。生下せし孩子に三十根の指头あるは、百姓は流亡す。生下せし孩子に両箇の鼻子あるは、百姓ありてその君主を図謀せん。生下せし人に両箇の脊背あるは、臣下は反叛して君主は滅亡せん。」《天鏡》はいう:「生下せし人に両箇の身子あるは、当世の君主は灾殃を遭受し、百姓は離散・逃亡す。生下せし人に両箇の肚腹あるは、三年を出でずして、年成は大熟にして、百姓の口糧は充足せん。」京房はいう:「生下せし孩子に三箇の肚腹あるは、この国家は分裂せんとす。生下せし人に両箇の肚腹あるは、これを悪兆と謂い、国主は仇敵に因りて亡ぶ。生下せし孩子は眼睛が頭頂の上あるいは脳後に長ずるは、天子は亡なんとす。」
《天鏡》曰:“人生目著腹,五穀豐,橫兵起。”京房曰:“人生子,目在項背,天子不安;人生子,目在臂及手,天下有大事;人生子,目在腋下,天下不相見;人生子,目在陰,天子亡位;人生子,目在踵及足,是謂下視,天下大兵;人生子,口在首上,及在後,國主亡。”
《天鏡》はいう:「生下せし人の眼睛が肚腹の上に長ずるは、五穀は豊収するも、四出の兵禍の興起有らん。」京房はいう:「生下せし孩子の眼睛が頚項・脊背に長ずるは、天子は安寧を得ず。眼睛が臂膀と手の上に長ずるは、天下に大事あり。眼睛が腋下に長ずるは、天下の人は彼此に相往来せず。眼睛が下陰の処に長ずるは、天子は帝位を失掉す。眼睛が脚跟と脚の上に長ずるは、これを『下視』と謂い、天下に大兵あり。生下せし孩子は嘴が頭頂の上あるいは脳後に長ずるは、国主は亡なんとす。」眼と口の生じて位置を錯るは、占家の取る所は「司る所の位を失う」の義なり。目は視を主り、錯生すれば則ち視聴は正ならず。口は言語・飲食を主り、錯生すれば則ち号令と養生の道は皆乱れんとす。
《天鏡》曰:“人生子,兩口在背,國無兵,人民行,五穀昌。”京房曰:“人生子,口在肢,臣主亡;人生子,口在腹旁,天下有兵,一曰為天德,五穀豐熟;人生子,口在節,天下民大飢流亡;人生子,鼻在背及項,天下不寧;人生子,鼻在首前,太子有殃;人生子,鼻在腹,天下大荒;人生子,鼻在四肢節,天子亡;人生子,鼻在陰,是謂不恆,天子降;人生子,耳在首上及前後,天下有兵,民流亡,國君喪;人生子,耳在腹,天下兵;人生子,耳在背及肩項,天下有憂;人生子,耳在四肢及手足,有反主者;人生子,腹在背,天下飢;人生子,腹在手上前後,天下民飢,兵作;人生子,腹在四肢足,天下有大兵,又曰天子易;人生子,四肢在背,天下亂於兵;人生子,陰在首,天下大亂;在背,天子無後;人生子,陰在腹,天下有大事。”
《天鏡》はいう:「生下せし孩子に両張の嘴ありて背の上に長ずるは、国中に兵事なく、百姓は安然と行走し、五穀は昌盛せん。」京房はいう:「生下せし孩子は嘴が四肢の上に長ずるは、臣と主は皆亡なんとす。嘴が肚腹の両旁に長ずるは、天下に兵事あり、別の一説はこれを天徳の象と為し、五穀は豊熟せん。嘴が骨節の上に長ずるは、天下の百姓は大飢荒にして流亡せん。生下せし孩子は鼻子が脊背と頚項の上に長ずるは、天下は安寧せず。鼻子が頭の前面に長ずるは、太子に灾殃あり。鼻子が肚腹の上に長ずるは、天下は大荒なり。鼻子が四肢の骨節の上に長ずるは、天子は亡なんとす。鼻子が下陰の処に長ずるは、これを『不恒』と謂い、天子は降位す。生下せし孩子は耳朵が頭頂あるいは頭の前後に長ずるは、天下に兵事あり、百姓は流亡し、国君に喪あり。耳朵が肚腹の上に長ずるは、天下に兵あり。耳朵が脊背・肩膀・頚項の上に長ずるは、天下に憂患あり。耳朵が四肢と手脚の上に長ずるは、君主に反叛する人有らんとす。生下せし孩子は肚腹が背後に長ずるは、天下は飢荒す。肚腹が手の上あるいは身の前後に長ずるは、天下の百姓は飢を捱き、兵禍は興起す。肚腹が四肢と脚の上に長ずるは、天下に大兵あり、別の一説は天子は更換す。生下せし孩子は四肢が背の上に長ずるは、天下は兵事に因りて乱る。生下せし孩子は下陰が頭の上に長ずるは、天下は大乱す。背の上に長ずるは、天子に後嗣なし。下陰が肚腹の上に長ずるは、天下に大事あり。」この一長段は口・鼻・耳・腹・四肢・下陰を逐一に躯体の異位に配するなり。生ずる所の位置が頭首に愈々近づけば、応験する事はすなわち愈々天子に関渉し、四肢の末梢に愈々近づけば、応験するはすなわち愈々臣下と百姓なり。
《京房易候》曰:“人生子,足小,此謂下約,不出三年,邦消亡。”《漢書五行志》曰:“平帝元始六年六月,長安女子生兒,兩頭異頸,面相向,四臂共胸,尻上有目,長二寸所,若六畜首目在下,茲謂亡上,政將變更。凡妖之作,以譴失正,各象其類。二首,下不一也;手多,所任邪也;足少,下不勝任也。”
《京房易候》はいう:「生下せし孩子の脚が格外に小さきは、これを『下約』と謂い、三年を出でずして、国家は消亡せん。」《漢書・五行志》はいう:「平帝の元始六年六月、長安に一箇の女子ありて嬰児を生下し、両箇の頭は両条の頚に分かれ、両張の臉は相対向し、四条の臂膀は一箇の胸膛に連なり、尾骨の上にまた眼睛を長じ、約二寸の長さなり。もし六畜の頭と眼睛が下面に長ずれば、これを『亡上』と謂い、政局は将に変更せんとす。およそ妖異の発生するは、皆正道を失う行為を譴責するを用い、各々それの対応する一類を象徴す。両箇の頭は、下の人の統一する能わざるを謂う。手の多きは、任用する所が皆邪佞の人なるを謂う。脚の少なきは、下の人が職任を担い能わざるを謂う。」
《風俗通》曰:“靈帝光和二年,洛陽上西門外女子生兒,兩頭異肩,四臂共胸,俱前向,以為不祥,隨地棄去,朝廷變亂,上下無別,二頭之象也。”《春秋運斗樞》曰:“人主不省山川之祠、州土之位。不應天府,斬伐無度,懷山絕渠,則人生大頭。”《天鏡》曰:“人生子,頭如囊者,主有咎凶。”又曰:“人生頭大,不出三年,將有大師來伐其國。”又曰:“人生無頭,世主方凶。”
《風俗通》はいう:「霊帝の光和二年、洛陽の上西門の外に一箇の女子ありて嬰児を生下し、両箇の頭は両辺の肩に分かれ、四条の臂膀は一箇の胸膛に連なり、俱に前方に向く。家の内の人は不祥と認め、随手に地上に棄去せり。後に朝廷は変乱し、上下は分かれず、正に両箇の頭の象に応ぜり。」《春秋運斗枢》はいう:「君主が山川の祭祀・州土の位次を省察せず、天府の常度に順応せず、砍伐に節制なく、山陵を壅塞し溝渠を断絶すれば、すなわち人ありて生下来して頭が格外に大ならん。」《天鏡》はいう:「生下せし孩子の頭が口袋の一般なるは、主上に灾咎・凶険あり。」またはいう:「生下せし人の頭が甚だ大なるは、三年を出でずして、将に大軍ありて来たりてこの国家を討伐せんとす。」またはいう:「生下せし人に頭なきは、当世の君主は正に凶有らんとす。」
京房曰:“人生子,無目,其國主暴死;人生子,無口,其國主見賊,又曰多疾。”《春秋運斗樞》曰:“上弊下塞,則人無唇。”京房曰:“人生子,無唇,是謂不祥,國主死亡;人生子,無耳,天子不聰。”《天鏡》曰:“人生而無口鼻耳,世主凶,其國年熟;人生子,無鼻,其國主疾病;人生子,無足,歲大飢;人生子,無手,主有客兵至;人生子,無手掌,世主大憂疾病;人生無足,世有喪征也;人生無足,不出三年,其國空。”
京房はいう:「生下せし孩子に眼睛なきは、この国主は暴死せん。生下せし孩子に嘴なきは、この国主は殺害を遭わん、別の一説は多病なり。」《春秋運斗枢》はいう:「上に在る者が昏蔽し、下に在る者が壅塞すれば、すなわち人ありて生下来して嘴唇なからん。」京房はいう:「生下せし孩子に嘴唇なきは、これを不祥と謂い、国主は死亡せんとす。生下せし孩子に耳朵なきは、天子は下情を聞くことを得ず。」《天鏡》はいう:「生下来して口・鼻・耳なきは、当世の君主に凶険あり、而もこの国家の年成は却って好し。生下せし孩子に鼻子なきは、この国主は疾病を生ぜん。生下せし孩子に脚なきは、年成は大飢なり。生下せし孩子に手なきは、主上は外来の軍隊の打至る有らん。生下せし孩子に手掌なきは、当世の君主に大憂患と疾病あり。生下せし人に脚なきは、世間に喪亡の徴兆あり。生下せし人に脚なきは、三年を出でずして、その国家は空虚せんとす。」
京房曰:“人生子,無指,天子有更令;人生子,無腹,其國年大熟;人生子,無四肢,其國主君臣有反者;人生子,無陰,其國主無後;人生子,無尻,國主以仇亡。”《天鏡》曰:“人生子,無頭,不出三年,有大師來伐其國;人生子,無骨,其國主昌。”《魏志》:“公孫述時,襄平北市有人生肉,長圍,各數尺,有頭目口喙,無手足,而動搖,此赤眚也。占曰:有形不成,有體無聲,其滅亡必也。”
京房はいう:「生下せし孩子に手指なきは、天子は号令を変更する事有らん。生下せし孩子に肚腹なきは、その国の年成は大熟せん。生下せし孩子に四肢なきは、この国家の君臣の中に反叛の人有らん。生下せし孩子に下陰なきは、この国主に後嗣なし。生下せし孩子に臀部なきは、国主は仇敵に因りて亡ぶ。」《天鏡》はいう:「生下せし孩子に頭なきは、三年を出でずして、大軍ありて来たりてその国を討伐せん。生下せし孩子に骨頭なきは、その国主は昌盛せん。」《魏志》の記はいう:「公孫氏の時(襄平は遼東郡の治所の在る処)、襄平の北市に人ありて一塊の肉を生下し、長さと囲とは各々数尺、頭・眼・嘴・喙を長ずるも手脚なく、而も動揺す。これは『赤眚』の一類に属す。占辞にいう、形状有るも人形を成さず、身体有るも声音を発する能わざれば、その滅亡は必ずなりと。」
人が六畜を生む
京房曰:“人生六畜,是謂更有王,天下易主;人生馬,百姓勞苦;人生彘犬,人君失道;人生彘,貴人牽義,民不義;人生六畜形人面者,天子不聰;人生六畜,口在手之上及腹,天下有大兵;人生六畜,口在腹背胸,天下有反者;人生子,人形六畜面,更天子;人生六畜,口在陰,天下有惡天子;人生六畜,耳在手上,天下有憂,又云有反者;人生六畜,耳在四肢,天下有兵,一曰天下大荒;人生六畜,耳在腹及胸,天下有反臣;人生六畜,耳在陰,群臣常謀天下;人生六畜,四肢在腹及首,天下大亂;
京房はいう:「人が六畜を生下するは、これを別に新王の出現有りと謂い、天下は主人を換えんとす。人が馬を生下するは、百姓は労苦す。人が猪狗を生下するは、君主は治道を失掉す。人が猪を生下するは、貴人は牽強附会に道義を講じ、百姓は却って道義を守らず。六畜の形を生下して人面を帯ぶるは、天子は下情を聞くことを得ず。六畜を生下して嘴が手の上あるいは肚腹の上に長ずるは、天下に大兵あり。六畜を生下して嘴が腹・背・胸の上に長ずるは、天下に反叛の人あり。生下せし孩子が人身にして六畜の面なるは、天子は更換せんとす。六畜を生下して嘴が下陰の処に長ずるは、天下に暴悪の天子あり。六畜を生下して耳朵が手の上に長ずるは、天下に憂患あり、また一説に反叛者有りと。六畜を生下して耳朵が四肢の上に長ずるは、天下に兵あり、一説に天下は大荒なりと。六畜を生下して耳朵が腹の上および胸の上に長ずるは、天下に反叛の臣あり。六畜を生下して耳朵が下陰の処に長ずるは、群臣はつねに天下を図謀す。六畜を生下して四肢が腹の上および頭の上に長ずるは、天下は大乱す。」
人生六畜,有三首以上,天下樂昌;人生六畜,有兩身,天下有重兵;人生六畜,有三目以上,天下有亂臣;人生六畜,有一目,國令不行;人生六畜,有兩口以上,天下有兵;人生六畜,有三耳以上,天下有大事;人生六畜,有一耳,國主不聰;人生六畜,有兩鼻以上,有謀反者;人生六畜,有一足,天下無主;人生六畜,有二足,天下有大憂;人生六畜,陰在首上,天子失位;人生六畜,有二陰以上,國主多子;人生六畜,有四肢無節,天下有不善者;人生六畜,有二尾以上,國有大事;人生六畜,有毛無羽,天子失位;人生六畜,有羽無毛,天子無朝之者;人生六畜,身半有毛,半無毛,國有大事;
「六畜を生下して三箇の頭以上有るは、天下は安楽・昌盛す。六畜を生下して両箇の身子有るは、天下に重兵あり。六畜を生下して三只の眼睛以上有るは、天下に作乱の臣子あり。六畜を生下してただ一只の眼睛有るは、国家の号令は行われず。六畜を生下して両張の嘴以上有るは、天下に兵あり。六畜を生下して三只の耳朵以上有るは、天下に大事あり。六畜を生下してただ一只の耳朵有るは、国主は下情を聞くことを得ず。六畜を生下して両箇の鼻子以上有るは、謀反の人あり。六畜を生下してただ一只の脚有るは、天下に主なし。六畜を生下してただ両只の脚有るは、天下に大憂あり。六畜を生下して下陰が頭頂の上に長ずるは、天子は位を失す。六畜を生下して両箇の下陰以上有るは、国主は子多し。六畜を生下して四肢に関節なきは、天下に不良の人あり。六畜を生下して両条の尾巴以上有るは、国中に大事あり。六畜を生下して毛有りて羽なきは、天子は位を失す。六畜を生下して羽有りて毛なきは、天子に朝に来たる人なし。六畜を生下して半身に毛有り・半身に毛なきは、国中に大事あり。」この一串の占辞の推法は:畜体のある処に一件を多出するは、多くは僭越・反叛と大事を主り、ある処に一件を缺少するは、多くは損亏・絶後と不聡を主る。毛羽・骨節の錯乱に至っては、則ちその本類に非ずして常を失うの義を取る。
人生六畜,無面,天下兵作;人生六畜,無首,天下無主,天子失位;人生六畜,無目,社稷亡;人生六畜,無口,天下大飢,重有大兵;人生六畜,無鼻,天下有災;人生六畜,無耳,天子無令臣;人生六畜,無腹,天下大飢,重以大兵;人生六畜,無四肢,天子無忠臣;人生六畜,無陰,天子無後;人生六畜,無骨筋肉,天下昌;人生六畜,無尾,是謂無後,近臣反殺主;人生六畜,無毛,天下貧,民飢。”《地鏡》曰:“兵起則人生牛馬。”
「六畜を生下して面孔なきは、天下は兵事を興起す。六畜を生下して頭なきは、天下に主なく、天子は位を失す。六畜を生下して眼睛なきは、社稷は滅亡す。六畜を生下して嘴なきは、天下は大飢荒にして、また大兵を加う。六畜を生下して鼻子なきは、天下に灾あり。六畜を生下して耳朵なきは、天子に奉命して行事すべき臣子なし。六畜を生下して肚腹なきは、天下は大飢荒にして、また大兵を以てす。六畜を生下して四肢なきは、天子に忠臣なし。六畜を生下して下陰なきは、天子に後嗣なし。六畜を生下して骨・筋・肉なきは、天下は昌盛す。六畜を生下して尾巴なきは、これを『無後』と謂い、近侍の臣は反叛して君主を殺害す。六畜を生下して毛なきは、天下は貧困にして、百姓は飢を捱く。」《地鏡》はいう:「兵事の興起するは、すなわち人ありて牛馬を生下せん。」
人が野獣・飛鳥を生む
《天鏡》曰:“人生野獸,國君兄弟分別,不出一年,夷狄內侵。”京房曰:“人生野獸,天下不通;人生野獸,有他變形,天下大兵,凶亡。”《京房易候》曰:“人生飛鳥,茲謂不祥,司馬將兵,上卿亡;人生子,形如飛鳥面者,非常兵行;人生子,人面飛鳥形者,大水行,兵戰;人生飛鳥,有人形體者,天下分。”《天鏡》曰:“人生飛鳥,君憂,小民散流。”
《天鏡》はいう:「人が野獣を生下するは、国君とその兄弟は分離せんとし、一年を出でずして、夷狄は内に向かって入侵す。」京房はいう:「人が野獣を生下するは、天下は上下通ぜず。人が野獣を生下してまた別に変形有るは、天下に大兵あり、凶険・死亡せん。」《京房易候》はいう:「人が飛鳥を生下するは、これを不祥と謂い、司馬は将に兵を領して出征し、上卿は死亡せんとす。生下せし孩子の形体が飛鳥の如くにして鳥面を帯ぶるは、非常の兵事の発生有らんとす。生下せし孩子が人面にして飛鳥の形なるは、大水は横流し、兵戈は交戦せん。飛鳥を生下して人の形体を帯ぶる有るは、天下は分裂せんとす。」《天鏡》はいう:「人が飛鳥を生下するは、君主に憂あり、小民は散流す。」野獣は地に属し、飛鳥は天に属す。人が却ってこれらの東西を生下するは、人道と禽獣の道の相混ずるなり。故に断辞は兵乱・分裂・流散の几件事を出でず。
人が五穀・草木・雑物を生む
京房曰:“人生子,盡為五穀,國民昌;人生子,盡為草木,國主死;人生子,盡為石,兵強;人生他物,非人所見聞者,皆為天下有兵。”
京房はいう:「生下せし孩子が尽く五穀なるは、国中の百姓は昌盛す。生下せし孩子が尽く草木なるは、国主は死せんとす。生下せし孩子が尽く石頭なるは、兵力は強盛す。別の東西を生下し、人の従来に見聞したことなき者は、一概に皆天下に兵事あるを主る。」この一類の占辞の着眼する処は、生ずる所の物がどの一行に属するかに在り、更に五行の生克に拠りて人事の吉凶を推出す。
人が龍蛇・虫魚を生む
《地鏡》曰:“國君見伐則人生龍。”京房曰:“人生龍,有異姓來相,其國君將亡;人生子,人面而龍蛇形者,天下有兵。”《紀年》曰:“今王四年,碧陽君之諸御產二龍。人生子,人形而龍蛇面者,天下飢,其兵合;人生蛇、蜂、蠆,天下有並民;人生蛇、蜥蜴,國破,有喪,君走;人生子,魚為首者,有大水。”
《地鏡》はいう:「国君が将に討伐を遭わんとすれば、すなわち人ありて龍を生下せん。」京房はいう:「人が龍を生下するは、異姓の人ありて宰相を做りに来らん、この国君は将に滅亡せんとす。生下せし孩子が人面にして龍蛇の形なるは、天下に兵事あり。」《竹書紀年》はいう:「今王四年、碧陽君の侍妾は二条の龍を生下せり。生下せし孩子が人形にして龍蛇の面なるは、天下は飢荒し、各処の兵馬は会合せん。人が蛇・蜂・蠍を生下するは、天下に人民を兼并する事あり。人が蛇と蜥蜴を生下するは、国家は破敗し、丧事あり、国君は出走す。生下せし孩子が魚を以て頭と為すは、大水有らんとす。」
人が死して更生す
《天鏡》曰:“人死復生,國有大病,五穀死,兵起。”京房曰:“子不三年,改父之道,則為私,厥妖人死更生。”《左傳》曰:“晉殺秦諜於繹,七日復生。”《續漢書五行志》曰:“獻帝初平中,長沙人姓桓死,棺斂月餘,其母聞棺中有聲,發之,遂生。至陰為陽,下人為上,其後曹公由匹庶起也。”又曰:“獻帝建安四年,武陵宛縣女子李娥年六十餘,死於城外,已四十年,行人聞冢中有聲,發出,遂活。”《京房易傳》曰:“死人復行,五穀不登,兵革大起。”
《天鏡》はいう:「人が死してまた活転するは、国中に大さなる疫病あり、五穀は枯死し、兵禍は興起す。」京房はいう:「子を為る者が三年に到らずして父の成法を更改するは、あれは徇私なり、相応する妖異はすなわち死人の復生なり。」《左伝》はいう:「晋国は繹の地に於て秦国の間諜を殺せり、七天を過ぎて彼はまた活転せり。」《続漢書・五行志》はいう:「献帝の初平年間、長沙に一箇の姓を桓とする人ありて死し、棺に入り装殮して一月余り、その母は棺の中に响声あるを聞き、之を打開すれば、人は竟に活きたり。これは至陰が至陽に変じ、在下の者が在上の者に変ずるの象なり。後に曹操は便ち平民の中より起家せり。」またはいう:「献帝の建安四年、武陵の宛県に一箇の女子・李娥あり、六十余歳、城外に死し、すでに四十年、過路の人は墳の中に声音あるを聞き、挖開せば、彼女はすなわち活きたり。」《京房易伝》はいう:「死人が新たに起きて行走するは、五穀は熟せず、兵戈は大いに起こらん。」
女が赤毛を生ず
《京房易傳》曰:“人君尊卑無別,則女生赤毛。”
《京房易伝》はいう:「君主が尊卑・上下の分別なからしむれば、すなわち女子ありて身の上に紅毛を長出せん。」尊卑の序を失うは本より人事の乱なり。占家は以為す、その応験はすなわち人の身の上の異状の中に顕露すと。
神の瑞
西王母
《帝王世紀》曰:“舜時,群瑞畢臻,崑崙之北,玉山之神,人身虎首豹尾,蓬頭戴勝,執几杖皓然,白石城金室而居,南有青鳥,常為取食,名曰西王母,慕舜之德,來獻白環及貢益地圖。”《瑞應圖》曰:“王者承先王法度,無遺失,則來。黃帝時,西王母使使乘白鹿來獻白環。”《大戴禮》曰:“舜以天德嗣堯,布恩散德,日月出入,莫不率俾,西王母來獻玉琯。”(《異苑》云:零陵文學奚景,於舜廟下得玉琯,即舜時西王母所獻玉琯也。《漢律曆志》注云:西王母獻舜白玉管,以玉為管也。)
《帝王世紀》はいう:「虞舜の時、各種の祥瑞は一斉に出現す。崑崙山の北・玉山の上のあの神は、人の身子・老虎の頭・豹の尾巴にして、頭髪は蓬乱し、頭上に玉勝を戴き、几杖を手執り、鬚眉は皓白にして、白石の砌たる城・黄金の造れる屋に住す。城の南に青鳥あり、つねに彼女の為に食物を取来る。彼女の名は西王母と謂い、虞舜の德行を仰慕し、前に来たりて白玉環を進献し、併せて『益地図』を貢上せり。」《瑞応図》はいう:「君王が能く先王の法度を承襲して遺漏なからしむれば、西王母はすなわち前に来たらん。黄帝の時、西王母は使者を遣わして白鹿に乗らしめて白玉環を献せしめたり。」《大戴礼》はいう:「虞舜は天徳に凭りて堯の帝位を継承し、恩沢を布施し・徳恵を散播し、日月の出入する照す処、服従・聴命せざる莫し。西王母は便ち前に来たりて玉管を進献せり。」(原書の小注:《異苑》はいう、零陵郡の文学官・奚景は舜廟の下に玉管を得たり、すなわち舜の時の西王母の献じたあの支の玉管なり。《漢書・律暦志》の注はいう、西王母は舜に白玉管を献ず、これは玉を用いて成したる管子なり。)
四海の神
《金匱》曰:“武王伐紂,都洛邑,陰寒雨雪一十餘日,深丈餘。甲子朔旦,有五丈夫乘馬車,從兩騎,至王門外,欲謁武王。武王將出見之,太公曰:‘不可,雪深丈餘,五丈夫車騎無跡,恐是聖人。’太公乃持一器粥,出門而進五車兩騎曰:‘王方未出,天寒,故進熱粥以禦寒,而不知長幼從何來。’兩騎曰:‘先進南海君,次進東海君,次北海君,次西海君,次河伯、雨師、風伯。’粥既畢,使者告太公,太公謂武王曰:‘此四海之神,王可見之。南海神曰祝融,東海神曰勾芒,北海神曰玄冥,西海神曰蓐收,河伯名為憑,雨師名詠,風伯名飛廉,請以名前。’五神皆驚,相視而嘆,祝融等皆拜焉。武王曰:‘天陰遠來,何以教之?’四海曰:‘天代立周,謹來受命,請勅風伯等,各奉其職。”
《金匱》にいう。「周の武王が商の紂を討伐し、洛邑に都を定めたとき、天気が陰寒で雨雪が十数日降り続き、積雪の深さは一丈余りに達した。甲子の朔日の早朝、五人の男子が馬車に乗り、後ろに二人の騎士を従えて王宮の門外に至り、武王に謁見を求めた。武王がまさに出て会おうとすると、太公が言った。『いけません。雪の深さが一丈余りあるのに、この五名の車馬には痕跡が残っていません。おそらく神聖なる方々でしょう。』太公はそこで熱い粥一器を持ち、門を出て五台の車と二人の騎士をもてなして言った。『大王はまだしばらくお出になりません。天が寒いので、まず熱粥を進めて寒さを防いでいただきます。ただ、皆様の長幼の順と、どこからいらしたのかが分かりません。』二人の騎士が言った。『まず南海君に進め、次に東海君、次に北海君、次に西海君、それから河伯・雨師・風伯に進めよ。』粥を進め終わると、使者が太公に報告し、太公は武王に言った。『これは四海の神です。大王はお会いになることができます。南海の神は祝融、東海の神は勾芒、北海の神は玄冥、西海の神は蓐収といいます。河伯の名は凭、雨師の名は詠、風伯の名は飛廉です。どうか名前のとおりに一々お呼びください。』五神は皆驚き、顔を見合わせて嘆じ、祝融らは皆礼を拝した。武王が言った。『天が陰っているのに遠くから来られたが、何か教えはあるか。』四海の神が言った。『天は周に代わって立たせようとしており、私たちは謹んで命を受けに来ました。どうか風伯らにそれぞれの職守を奉じさせるよう敕してくだされ。』」
《墨子》曰:“鄭繆公晝處廟,有神入門而左,鳥身素服三純,面狀正方,繆公乃懼,神曰:‘無奔,帝享汝明德,使錫壽十年,使君昌。’公問神名,神曰:‘勾芒。’”《國語》:“夏之興也,融降於崇山。”(融,祝融也;崇高,山也;夏居陽城,高山所近也。)
《墨子》にいう。「鄭の繆公が昼間、宗廟にいたとき、神が門から入ってきて左へ向かった。鳥の身に素衣で三つの縁飾りがあり、顔は四角かった。繆公は大いに恐れたが、その神が言った。『逃げるな。帝はあなたの明徳を嘉享し、私に十年の寿を賜らせ、あなたの国を昌えさせるためである。』繆公がその名を尋ねると、神は言った。『勾芒である。』」《國語》にいう。「夏が興ったとき、祝融が崇山に降りた。」(原書小注:融とは祝融である。崇高とは山の名である。夏は陽城に都し、その高山に近かった。)
登山の神
《管子》曰:“桓公北征孤竹,未至卑耳溪十里,援弓將射,未敢發,見人長尺而人物具,冠,右祛衣,走馬前,疾。管仲曰:‘臣聞登山之神,有俞兒者,長尺,人物具焉,伯王之君興則見。且走馬前,導也;右祛,示從右涉。’至溪,如所言,公拜馬前曰:‘仲父之聖若此。’對曰:‘夷吾聞聖人先知無形,非有形而後知,臣非聖人,臣承教者也。’”
《管子》にいう。「斉の桓公が北へ孤竹国を征伐したとき、卑耳の渓まであと十里のところで、弓を引いて射ようとしたが矢を放てずにいた。身の丈一尺で形貌と五官がすべて具わった人が、冠をかぶり右の襟をまくり上げて、馬の前を疾走するのを見たからである。管仲が言った。『私が聞くに、登山の神のうちに俞児という者がおり、身の丈一尺で形貌が具わっています。覇王の業を成さんとする君主が興るときにのみ現れます。また、馬の前を走るのは道案内をするためで、右の襟をまくるのは右から渉って渓を渡れという示しです。』渓に至ると果たしてその言のとおりであった。桓公は馬の前で下拜して言った。『仲父の聖明はこのようなものか。』管仲は答えて言った。『夷吾が聞くに、聖人は事にまだ形跡のないうちに先んじて知るもので、形跡ができてから知るのではありません。私は聖人ではなく、教えを承けている者にすぎません。』」
神女
《瑞應圖》曰:“美女者,蓋神女也。君德被遠則至,周穆王時持酒來酌之。”
《瑞應圖》にいう。「いわゆる美女とは、おそらく神女である。君主の徳の恩沢が遠くまで及べば来るのであり、周の穆王の時には酒を捧げて穆王に酌ぎ奉った。」《瑞應圖》はもっぱら祥瑞を記す書であり、神女の降臨さえも君徳が遠く及んだ応験とみなすのである。
神怪
神が吟嘯する
《淮南子》曰:“夏桀亂四時之政,黃神吟嘯,鬼神失其常。”
《淮南子》にいう。「夏の桀が四時の政の次第を乱したとき、黄神が長く吟嘯の声を発し、鬼神はみなその常度を失った。」四時の政は本来天に順って行うべきものであり、人君がその次序を乱した以上、神明でさえその本位に安んじられず、吟嘯の怪异が起こったのである。
神が莘に降る
《左傳》:“莊公三十二年,有神降於莘。(有神聲以接人莘虢地)惠王問內史過曰:‘是何故?’對曰:‘周之將興,明神降之,鑑其德也;將亡,神又降之,觀其惡也。故有得神以興,亦有以亡,虞夏商周皆有之。’王曰:‘若之何?’對曰:‘以其物享焉,其至之日,亦其物也。’(享,祭也,若以甲乙日至,祭先脾,玉用蒼,服尚青,以此而祭也。)
《左傳》に記す。「魯の荘公三十二年、神が莘の地に降りた。(原書小注:神が声を発して人と接した。莘は虢国の地である。)周の恵王が内史過に問うていう。『これは何の故か。』答えていう。『周がまさに興らんとする時は、明神が降りてその徳を鑑みます。まさに亡びんとする時も、神が降りてその悪を見るのです。ゆえに神を得て興ることもあれば、それによって亡びることもあり、虞・夏・商・周の各代に皆これがありました。』恵王が言った。『ではどうすればよいか。』答えていう。『それに相応しい物をもって祭ります。神の至った日の日辰に属するものが、すなわち用いるべき物です。』(原書小注:享とは祭りである。もし甲乙の日に至ったなら、祭りにはまず脾臓を薦め、玉は青色を用い、服色は青を尚び、そのようにして祭る。)
王從之,內史通往聞虢請命,(聞虢請於神求賜土田之命)反曰:‘虢必亡矣。虐而聽於神。’神居莘六月,虢公使祝應、宗區、史嚚享焉,神賜之土田。(祝,大祝也;宗,宗人也;史,大史也;應、區、嚚,人名也。)史囂曰:‘虢其亡乎。吾聞之,國將興,聽於民;(政順民心)將亡,聽於神。(求福於神)神,聰明正直而一者也。依人而行,(唯德是興)虢多涼德,其何土之能得。’”(涼,薄也;謂晉二年滅虢也。)
恵王はその言に従った。内史過が出向くと、虢国が神に命を求めていると聞き、(原書小注:虢が神に土田を賜る命を祈っていると聞いた)帰って言った。『虢は必ず亡びます。暴虐で道に背きながら、もっぱら神に聴き従っているのですから。』神は莘に六箇月留まり、虢公は太祝の応・宗人の区・太史の嚚を遣わして祭らせたところ、神は虢に土田を賜った。(原書小注:祝は太祝、宗は宗人、史は太史である。応・区・嚚はいずれも人名である。)史嚚(ここでは本書は『史嚣』と作る)が言った。『虢は亡びるのでしょう。私が聞くに、国がまさに興らんとする時は民に聴き従い、(原書小注:政令が民心に順う)まさに亡びんとする時は鬼神に聴き従います。(原書小注:神に福を求める)神とは聡明・正直で一を貫く者であり、人の徳に依って行うのです。(原書小注:有德の者のみを興す)虢は徳が薄いこと甚だしく、いったい何の土地を得られるでありましょうか。』」(原書小注:凉は薄いという意。晋の献公二年に虢を滅ぼしたことをいう。)
回禄神 蓐権神
《國語》曰:“夏之亡也,回祿信於耹隧。”(回祿,火神;再宿為信;耹隧,地名也。)又曰:“虢公夢在廟(虢公,王季之子,文王之弟。虢,虢公丑也;廟,室廟也。)有神,人面、白毛、虎爪、執鉞,於西阿,(西榮也)公懼而走,神曰:‘無走,帝命曰:使晉襲於爾門。’(帝,天也;襲,入也。)公拜稽首,覺,召史囂占之,對曰:‘如君之言,則蓐權也,天之刑神,(刑殺神也)天事官成。”(官成禍福,各以官象成也。)公使囚之,且使國人賀夢。(欲轉吉,故使賀也。)舟之僑(大夫也)告其諸族曰:‘眾謂虢不久,吾乃今知之。”(以其賀夢)其適晉,六年虢亡。”
《國語》にいう。「夏が亡びたとき、回禄が耹隧に二夜連泊した。」(原書小注:回禄は火神である。二泊することを『信』という。耹隧は地名である。)またいう。「虢公が夢に自分が廟中にいるところを見た。(原書小注:虢公は王季の子・文王の弟である。ここでいう虢は虢公丑を指す。廟は宗廟の殿室である。)神人がおり、人の顔・白い毛・虎の爪で大斧を執り、西の軒下に立っていた。(原書小注:西の屋翼である)虢公が恐れて走ろうとすると、神が言った。『走るな。帝の命にいう、晋をしてお前の門に入らせる。』(原書小注:帝は天を指す。襲は入ることである。)虢公は拝して稽首し、覚めてから史嚚を召してこの夢を占わせた。答えていう。『君のお言葉どおりなら、あれは蓐権、すなわち西方で刑殺を掌る天神の蓐収です。(原書小注:刑殺を主る神である)天の事はそれぞれ司る官が成し遂げます。』(原書小注:官成禍福とは、禍福が各々その司る官象によって成るということ。)ところが虢公は彼を囚えてしまい、さらに国人にこの夢を賀させた。(原書小注:凶を吉に転じようとして賀させたのである。)舟之僑(原書小注:虢国の大夫)がその族人たちに告げていう。『皆が虢は久しくないというが、私は今日になって初めて本当に知った。』(原書小注:虢公がこの夢を賀したため)こうして彼は晋に奔り、六年後に虢は亡びた。」
神が璧を届ける
《史記》:“秦始皇三十六年秋,使者從關東夜過華陰平舒道,有人持璧遮使者曰:‘為吾遺鎬池君,(服虔曰:水神也。張晏曰:武王居鎬,鎬池君則武王也。武王伐商,故神雲始皇荒淫若紂矣,今亦可伐也。孟康曰:長安西南有鎬池也。)言曰:今年祖龍死。’(蘇林曰:祖,始也;龍,人君之象,謂始皇也。)使者問其故,因忽不見,置其璧去。使者奉璧,具以聞,始皇默然良久,曰:‘山鬼固不過知一歲事也。’退言曰:‘祖龍者,人之先也。’使御府視璧,乃二十八年行度江所沉璧也,三十七年,始皇崩於沙丘。”
《史記》にいう。「秦始皇三十六年の秋、使者が関東から夜、華陰の平舒道を過ぎたとき、人が玉璧を持って使者を遮り言った。『これを私のために鎬池君に贈ってくれ。』(原書小注:服虔はいう、鎬池君は水神である。張晏はいう、周の武王が鎬に居したので、鎬池君とは武王である。武王が商を討ったので、神は始皇が紂のように荒淫であり、今また討つべきであると言ったのである。孟康はいう、長安の西南に鎬池がある。)言うには『今年、祖龍が死す。』(原書小注:蘇林はいう、祖は始まりの意。龍は人君の象で、始皇を謂う。)使者がその故を問うと、その人は忽然と見えなくなり、その璧を置いて去った。使者は璧を奉げて帰り、事の次第をことごとく奏上した。始皇は久しく黙然としてから言った。『山鬼はもともと一年の事しか知り得ぬものだ。』退いて言うには『祖龍とは人の先祖のことだ。』御府にその璧を検させると、二十八年に巡行して江を渡ったときに沈めたあの璧であった。三十七年、始皇は沙丘で崩した。」
神が降りても形が見えない
《吳志孫權傳》曰:“太元元年五月,臨海羅陽縣有神自稱王表,周旋民間,語言飲食與人無異,然不見形,又有一婢名紡績。是月遣中書郎李崇,齎輔國將軍羅陽王印綬,迎王表。李崇既至,與崇及所在郡守令長談論,崇等無以易,所過山川,遣婢與其神相聞。秋七月,崇與表至,權於蒼龍門外為立第舍,表說水旱小事,往往有驗。十一月,權祭郊還,寢疾。二年二月,表亡,至四月,權薨。”
《呉志・孫権伝》にいう。「太元元年五月、臨海郡羅陽県に神がおり、自らを王表と称し、民間を周旋して、言語・飲食は人と異なるところがなかったが、形が見えず、また紡績という名の婢が一人いた。その月、中書郎の李崇を遣わし、輔国将軍・羅陽王の印綬を齎して王表を迎えさせた。李崇が到着すると、王表は李崇および在所の郡守・県令・長と談論したが、李崇らはこれを説き伏せることができなかった。山川を過ぎるたびに、その婢を遣わしてその地の神と音信させた。秋七月、李崇と王表が到着し、孫権は蒼龍門の外に彼のために第舎を建てた。王表の言う水旱の小事はしばしば験があった。十一月、孫権が郊祭より還ると、寝疾した。二年二月、王表は消え失せ、四月に至って孫権は薨じた。」
池神が現れる
《幽明錄》曰:“晉武帝於殿上窗下,清曙忽見一人,著白幃黃絹單衣,舉身沾溼,自稱是華林園中池水神,名曰淋泠君也,若善見待,有福佑。時帝飲已醉,取常佩刀空擲之,刀空過無礙,神忽曰:‘不以往事垂接,當令知所過。’居少時而暴崩。”
《幽明録》にいう。「晋の武帝が殿上の窓下にいたとき、清明な暁に忽然として一人の人を見た。白い帷帽を着け黄絹の単衣を着て、全身が濡れそぼち、自らを華林園の中の池水の神で、名を淋泠君というと称し、もしよく待遇してくれれば福佑があると言った。時に帝はすでに酔っており、常に佩びている刀を取って空しくそれを投げたが、刀は空しく通り過ぎて障るものがなかった。神は忽ち言った。『私を礼をもって接遇しないなら、自らの過ちを知らしめよう。』少しの間をおいて武帝は暴崩した。」
鬼怪
鬼が見える
《天鏡》曰:“鬼見官府及私宅內,失土地之象。”《國語》曰:“周之衰也,杜伯射王於鄗。”(注云:常昭曰:鄗,鄗京也;杜國,伯爵,陶唐氏之後也。)《春秋》曰:“宣王殺杜伯而不辜,後三年,宣王會諸侯,田於囿,日中,杜伯起於道右,朱衣,冠,操朱弓矢,射宣王,中心折脊而死也。”
《天鏡》にいう。「鬼が官府や私宅の内に現れるのは、土地を失う象である。」《國語》にいう。「周が衰えたとき、杜伯が鄗で王を射た。」(原書小注:常昭がいう、鄗とは鄗京である。杜は国名で、伯爵であり、陶唐氏の後裔である。)《春秋》にいう。「宣王が杜伯を罪なくして殺し、三年後、宣王が諸侯を会して囿で田狩をした。日の中頃、杜伯が道の右より起こり、朱衣・朱冠を着け、朱の弓矢を操り宣王を射て、心に中り脊を折りて死した。」
《左傳》曰:“莊公八年十二月,齊侯遊於姑棼,遂田於貝丘,(姑棼、貝丘,皆齊地;田,獵也。)見大豕,從者曰:‘公子彭生也。’(公見大豕而從者見彭生,皆妖鬼也。)公怒曰:‘彭生敢見!’射之,豕人立而啼,公懼,墜於車,傷足,喪屨。”《漢書五行志》曰:“高後八年三月,自灞工還枳道,見物如蒼狗,撠高後腋,怒,見趙王如意為祟,遂病腋,傷而崩。先是,後殺如意。”
《左傳》にいう。「荘公八年十二月、斉侯が姑棼に遊び、遂に貝丘で田狩をした。(原書小注:姑棼・貝丘はいずれも斉の地である。田は狩りである。)大きな猪を見ると、従者が言った。『公子の彭生です。』(原書小注:公が見たのは大猪で、従者が見たのは彭生であり、いずれも妖鬼の仕業である。)公が怒って言った。『彭生、あえて現れるな!』これを射ると、猪は人のように立ち上がって啼いた。公は恐れて車から墜ち、足を傷めて履を失った。」《漢書・五行志》にいう。「高后八年三月、灞上から枳道に還るとき、蒼犬のような物を見た。それが高后の腋を撠いたので、怒って占わせると、趙王如意が祟りをなしていると見えた。遂に腋が病み、その傷で崩じた。それ以前に、后は如意を殺していた。」
鬼が人の屋に物を投げる
《天鏡》曰:“鬼擲人屋,扣門戶,如賊盜劫人,不出一年,民人疾病。”
《天鏡》にいう。「鬼が人家の屋に物を投げ、門戸を叩き、賊盗が人を劫するがごときときは、一年を出ずして民人が疾病する。」鬼は本来形がないのに、人間の盗賊のような振る舞いをするのだから、占家はこれを疫癘がまさに行わんとする先兆とするのである。
鬼が呼ぶ
《墨子》曰:“夏桀之時,鬼呼於國。”《天鏡》曰:“鬼呼,大人當之,是謂喪亡,不出一年,天下爭地,一曰哭祖,民分散。”《述異記》曰:“呂光永康二年,有鬼叫于都衛曰:‘兄弟相滅,百姓斃,兩口絕祀。’吏尋聲視之,則靡所見。是年,光死,嬌子紹立,五日,紹庶兄纂篡紹自立;明年,纂弟車騎大將軍常山公征伐屢有戰功,疑纂不已,帥聚攻纂,所殺無窮,常酗,遊走無度;明年,因醉為從弟超所殺,超推兄隆為主,姚興因臖遣叔父征西將軍隴西公碩德伐之,隆師徒撓敗,乃稱蕃於姚氏,三年,遂為姚氏所滅。”
《墨子》にいう。「夏の桀のとき、鬼が国で呼んだ。」《天鏡》にいう。「鬼が呼ぶは、大人に当たるもので、これを喪亡と謂う。一年を出ずして天下が地を争う。一説に祖を哭して民が分散すという。」《述異記》にいう。「呂光の永康二年、鬼が都の衛で叫んでいう。『兄弟相い滅び、百姓斃れ、両口の祀を絶つ。』吏が声を尋ねて視たが、何も見えなかった。その年、光が死し、嬌子の紹が立ったが五日にして、紹の庶兄の纂が紹を簒して自立した。明年、纂の弟・車騎大将軍常山公は征伐して屡々戦功を立てたが、纂を疑うこと已まず、衆を率いて纂を攻め、殺すこと窮まりなく、常に酩酊して遊走に度なし。明年、醉に因って従弟の超のために殺され、超は兄の隆を推して主とした。姚興はこの機に因り叔父の征西将軍・隴西公の碩徳を遣わしてこれを伐たせ、隆の軍は撓敗し、乃ち姚氏に蕃と称した。三年、遂に姚氏のために滅ぼされた。」
鬼が吟じ哭く
《墨子》曰:“夏桀之時,鬼叫於國;商紂之亡,有鬼宵吟。”董仲舒《五行逆順》曰:“人君簡宗廟,不禱祝,咎及於外,則鬼夜哭。”京房曰:“國虛空,人君有尸祿,則鬼夜哭。”《晉陽秋》曰:“符堅未敗,常安市鬼夜哭一月乃止。”京房曰:“鬼夜哭,國將亡。”
《墨子》にいう。「夏の桀のとき、鬼が都で号叫した。商の紂がまさに亡びようとしたとき、鬼が夜に吟哦した。」董仲舒《五行逆順》にいう。「君主が宗廟を怠り、祷祝の礼を行わなければ、災咎が外に及んで、鬼が夜に哭く。」京房がいう。「国庫が空虚で、君主の下に俸禄を白取して事を行わない者があれば、鬼が夜に哭く。」《晋陽秋》にいう。「苻堅がまだ敗亡しないうち、長安の市に鬼が夜哭し、一箇月でやっと止んだ。」京房がいう。「鬼が夜に哭けば、その国はまさに亡びんとする。」
